読売新聞 昭和20年2月11日 日曜日 07.4.1
一撃傾く編隊群長機 燃料すれすれ奮迅の邀撃戦  【某制空基地にて森村特派員発】


 全機無事帰還すると隊長はピストの前に部下を集めて次のやうに訓示した。
「今日の戦果は満足すべきものではない。主として器材不調のため攻撃を断念して帰ってきたものもあった。責任の一斑は整備にあるとはいへお前たちの戦闘にもまた遺憾な点が少なくなかった。一層の研究を望む」

 しかし関東平野の奥深く敵梯団を急追捕捉した勇士らは不利な態勢を克服し、乏しい燃料の最後の一滴まで使ひ果して宿怨のB29に奮迅の痛撃を浴びせた。
 この日、午前午後二回に亘り少数機をもって本土に来襲した敵は帝都を襲ふと見せて突如後続主力は房総方面から北上し、本土に入ってからも帝都を左に掠めつゝ一路なほ北進をつゞけた。

 「○○に行け、○○に行け」
隊につゞいて基地を飛び立った隊がこの無電をうけとったのは十五時すこし前だった。M大尉は折柄関東東北部を哨戒していた。雲高三千乃至四千、雲量六、示された地点まで来たものゝ敵は容易に発見できない。離陸してすでに○時間。燃料が心細い。大尉は降りようと思って操縦桿を前へ押した。

 その時である。水戸の方向に当って高射砲の弾幕が青空に象嵌された梅の花さながら無数に炸裂するのをみた。その弾幕に追はれるかの如く西進するB29の編隊群。「よし見参!」大尉は反転するやまっしぐらに突進した。
 敵編隊群は九機、六機、三機とそれぞれ高度差をもって三編隊に分かれていた。機数十八、高度は概ね九千から九千七百。
大尉は一番低い九機編隊、つまり十八機の最先頭を飛ぶ編隊群長機めがけ十分な高度差をもって第一撃をかけた。

 時に十五時十六分。確実に手ごたへがあった。反転上昇しつゝ機上にふり返れば、ああ敵編隊群長機は煙も吐かず大きく左に傾いたまゝ編隊を離脱、ぐんぐん高度を下げて行くではないか。八千、七千…降下する敵を追ひつめ土浦上空、六千五百メートルの高度において左上方から第二撃をかけんとしたが、もはや燃料は尽きんとしている。大尉は撃墜を確認することなく基地の方向に機首を返した。
 このB29の末路は僚機が見届けた。よろめきつゝ降下しつゝ東方に遁走をつづけた敵は、鹿島灘上空まで来ると力つきて依然煙も吐かず海に呑まれて行った。

 そのころ
軍曹は茨城県谷田部上北方を西進する八機編隊を捕捉、理想的な位置と高度差をもって第一撃をかければ見事きまって編隊右外側の一機は右エンジンから白煙を流しながら四千メートルまで降下して行った。
 十四時五十八分、
曹長は十一機編隊に第一撃をかけた。栗橋東方であった。手ごたへなしと見るや曹長はさらに九千五百の高度から眼下をゆく殿の九機編隊の真上から○○弾を叩きつけた。

 編隊最左翼の一機が右内側エンジンから真白い煙を噴き出した同時刻、見田少尉、粟村准尉ら神鷲のあとにつゞかん決意も固く戦場上空に突入した
隊の少尉は僚機と協力、土浦上空で二群にわかれた八機編隊を捕捉、三機を撃破した。

 戦果満足すべきものではないとはいへ、目下なほ調査中のものを合せれば戦果はもっと大きくなるであらう。戦ひ終って記者はO隊のピストを訪ねた。いつも談笑賑かなピストがシンと沈黙の底にしづんでいるのをみて、胸つかれるものがあった。至宝粟村准尉なきあとO隊戦力の支柱であった
中尉機いまだ帰らず。


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