読売新聞 昭和20年2月9日 金曜日 07.4.1
翼を並べ至宝散る 粟村准尉と幸軍曹
この日部隊長の室に入ると、大きな額に入った二枚の写真が一番先に目につく。「かういふ部下を次々に亡くして行くのは実に辛い。帝都邀撃戦のはげしさが骨身に徹します」O部隊長の最初の言葉だった。
犬を抱いて椅子に深く腰を下ろしているきつい顔が粟村尊准尉。飛行服の上半身を心持まへにして、みるからにキリッとした面にかすかな微笑の感じられるのが幸満寿実軍曹である。同じ基地のピストも同じにしてきたこの両神鷲に、畏くも武人最高の感状上聞の栄光が輝いたのだ。
両神鷲は去る一月九日の邀撃戦で翼をならべてこの基地を飛立ち、ふたりとも壮烈な体当りで玉と砕け散ったのだ。はじめての命日をけふ九日にひかへ基地の感激もまた深かった。いま偉勲の畏くも上聞に達した栄誉をおもへば部隊長も基地の戦友もただ仇敵B29撃墜の新たな勇猛心を感ずるのみ。
粟村准尉は九日調布上空で敵八機編隊の最後に遅れた一機に対し後ろから体当りをかけた。両方の速度が殆ど同じ位だったので、粟村機は極めて静かにプロペラでB29の尾翼の水平安定板をガリガリ囓った。
その瞬間粟村機は約七十度の角度で逆立ち、その儘敵機と暫く走ったが、離れた時にB29は機首を下げ銚子沖海上水面近くで空中分解し突っ込むと同時に黒煙を高く噴きあげて炎上した。
粟村機は暫く落下してから座席辺りで二ツに割れ、放り出された粟村准尉の落下傘はうまく開いたが、折からの西風に煽られ燃えるB29の黒煙の上を遥に沖合へ流された。
友軍機の報告により直ちに基地から捜索機が出動、他の各隊も協力してその後捜索をつゞけたが、准尉の機体はついに発見されないまゝ戦死を確認されたのである。
また幸軍曹はこの日石神井上空で敵編隊の二番機に体当りをかけた。戦友や帝都民の眼前でその体当りは実に見事に決まり、当時その模様は写真にも記録された。
真面目な口数の少ない操縦者で軍曹が晴れの震天隊員に選ばれたとき、郷里で国民学校の先生をしている兄から「家の方のことは何も心配するな。お國のために最もよい死場所を得ることを祈っている」と度々激励の手紙が基地に寄せられ、軍曹はそれを読むたびに「必ずやって見せる」と誓っていたといふ。【某基地にて宮本特派員記】