読売新聞 昭和20年2月8日 木曜日 07.4.1
感状上聞の栄 陸軍曹長吉田竹雄


 昭和十九年十二月二十二日敵機の名古屋侵入に先立ち豊橋上空に之を邀撃して一機を撃墜す。次で同月二十七日帝都上空に於て九機編隊に突入其の一機に体当りを敢行、之を東京湾上に撃墜し戦死を遂ぐ

 神鷲の略歴 埼玉県大宮市野上町二五一九吉田兼次郎(78)さんの八男で、二十六歳の若鷲である。昭和十四年十二月現役兵として輜重第一連隊に入隊、同十七年六月宇都宮陸軍飛行学校に操縦学生として入校、卒業後は戦闘員として活躍していた。去る二十二日の中京地方の空襲にも敵機を撃墜した殊勲者である。


敵発動機を噛取る 落下傘開かず散華 【某基地にて北條特派員発】

 ??二十七日帝都に来襲したB29約五十機を迎へわが制空部隊は見事その四十一機を撃墜破するの燐たる戦果を収め、うち二機は壮烈果敢な体当りによって撃墜したものであるが、その一人吉田竹雄陸軍曹長の体当り戦記をこゝに掲げる。

 この日(二十七日)正午前だった。敵機来襲の報にいち早く基地をとびたった。吉田機は駿河湾上から帝都に進路を向けて索敵中、高度九千五百をもって三機づゝ三つの体型をとる九機編隊の敵機が三鷹町西方上空から東進するのを発見、十三時二十六分ごろ猛然これに突込み、その中やゝ編隊から遅れている一機に猛烈に食ひ下がってこゝを先途とガンガン砲撃をつゞけた。
 だが敵機は落ちない。なにくそ…とつひに意を決した吉田機はスピードにものをいはせて敵機の後上方から決然体当りを敢行した。このため敵機はあっといふ間に右内側発動機が脱落し、同外側発動機は停止の深傷を負ひ、見る見るうちに高度を下げつゝ右に旋回しその後維挟みとなり東京湾に突入した。

 一方、吉田機もこの衝撃のため瞬間左右両翼および胴体の三つに空中分解し、曹長は仮死状態となって大気澄む亜成層圏の大空に放り出されてしまった。
 しかも不運にもあまりにも強い体当りの衝撃のため落下傘が用いられず中野に降下したが、接地の際負傷したため手当の甲斐もなく同曹長は体当り撃墜の武功を残して遂に壮烈皇都防衛の華と散った。


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