読売新聞 昭和20年1月28日 日曜日 07.3.10
敵編隊の真っ只 隊長必殺の体当り一機を屠り悠々降下 【某基地発】


 廿七日帝都を空襲した敵機を邀へて撃墜、撃破各数機の戦果をあげた某基地の制空隊は、敵機南方海上を北上中との情報に愛機「飛燕」をかって続々基地を離陸し、要地上空に「敵機ござんなれ」とまちかまへた。

 午後一時五十分、
少尉を長とする戦闘編隊は御前崎方面から高度七、八千米で北進して来る十六機編隊の敵機を富士山西側で捕捉、右側の一機を翼、胴、尾部と空中分解させ撃墜した。
 続いて
大尉は午後二時二分八王子上空で同編隊を捕捉、敵一機に体当りをかけ撃墜した。それから間もない午後二時十五分項、更に他の一機も板橋上空で敵一機に猛然体当りを敢行これを撃墜した。そのころ少尉以下もそれぞれ敵機を散々に撃破して凱歌をあげた。

 皇土護持に燃え沸る制空隊の激しい闘魂は、遂に
隊長自ら帝郡の西方上空で体当りを敢行見事に敵機を撃墜、悠々落下傘をもって基地に帰還、顔面の負傷箇所に流れ出る血潮も拭はず、そのまゝ爾後の戦闘を指揮するこの隊長の戦闘振りに、某基地の将兵の士気はいよいよ揚っている。

 この日十二時五十分
隊長は、出撃に先立ち全戦闘員を前に「沈着冷静攻撃は断々乎として止まざるべし爾後の戦闘は空中にて指揮す」と訓示を與ヘると、直ちに僚機伍長と共に愛機飛燕をかって基地を飛び立った。
 高度○○米富士山東南方上空で索敵中、直に八千五百米ほどの高度をとって敵第一編隊十四機が山梨県甲府上空から富士山を右に帝都に侵入せんとしているのを発見、優位の高度差を利用して敵編隊長機に模範的一斉砲火を浴びせつゝ、遂にその大編隊に殴り込んで編隊左内側の二番機に見事な体当りを敢行したのだった。

 このとき敵機は、射撃により左内側のエンジンから黒煙を吐き、更に体当りで尾翼の安定板をもぎとられてヨロヨロと逃げ惑ふうち、遂に千葉県印播沼東方付近の畑の中に真逆様になって墜落してしまった。
 以下は
隊長の語る体当り戦闘記である。

 「高度を一杯にとっている愛機の左下方を悠々とやって来る敵十四機の大編隊を発見した。空中演習にも余りないほど、こちらは絶対優位の高度と絶対占位にあり、直に翼を振って僚機に戦闘開始を伝へた。この時すでに敵編隊は大菩薩峠から八王子上空にかゝってきた。敵編隊の正面上空で反転、フトこの時「俺も隊長だ雑兵を相手にはせんぞ」と思ふ気持ちがムラムラとわき上がって来た。静かに気を落ち着けて敵の指揮官機を捜すと、すぐ編隊長機は判った。それがまんまと愛機の射撃照準に入っている。「よし!」と更に力を一杯こめて撃ちまくった。

 手ごたへは十分にあった。見れば左側エンジンから黒煙を吐きだした。もう一撃かけて敵編隊から離脱しようと思って待機の姿勢をとってひょっと横を見ると、驚いた敵編隊の大半が愛機と殆どすれすれになって盛んにこちらへ撃ちつゞけている。この砲弾が、ブスブスと愛機に無気味な音を立てゝささっているのが腹にこたへた。もう離脱はだめだと判った。エエ糞!と覚悟した。真正面に見える敵二番機に一斉射撃をかけながら突込んだ。ガクッと身体に激しい衝撃を感じたとき、すでに無意識状態のまゝ空中に放り出され、気がついたときは立川上空を降下していた。幸ひ顔に一寸負傷しただけで無事に帰れたのも、丁度けふは過日体当りした○○軍曹の命日であったから、この部下が護ってくれたのかと思ってツクヅク有難く感じている。


昭和20年1月29日 月曜日
二機を撃墜 静岡 【某基地発】

 二十七日の邀撃戦で某基地制空隊部隊少尉、両伍長の三機は午後一時五十分ごろ、敵B29十六機編隊を富士山西側上空で捕捉、右外側機に猛攻撃をかけ空中分解せしめて撃墜。(以下略)


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