読売新聞 昭和20年1月25日 木曜日
二十機を血祭り 次々葬るB29に遠州灘も狭し 飛燕の挙げた大量戦果 【某基地電話】 07.3.10


 二十三日敵B29を東海地区に邀撃、新鋭飛燕を駆って縦横に活躍、某基地部隊だけで撃墜六、撃破十四、計二十機を一挙に葬り去るといふ輝かしい戦果を挙げた某基地○○隊長指揮のわが戦闘機隊は、敵の帰路を扼すべく九千五百米前後の高々度を保ちつゝ愛知県豊橋および静岡県浜松上空に敵捕捉の網を張った。

 中京方面を爆撃した敵B29は数編隊に分れて東南進して来た。上空には密雲濃く、これを避けるためこの日の敵機は珍しく高度を○千メートル以下に下げて行進している。戦闘隊員の闘志は燃え、わが猛鷲必殺の猛攻に空中戦は壮烈を極めた。

 ○○大尉指揮の編隊は午後三時ごろ豊橋上空で九機編隊を捕捉、○○大尉まづ敵第二編隊長機に果敢な攻撃をかけて遠州灘約八十キロ沖海中に叩き込んで血祭りに上げれば、続く○○少尉機は同編隊三番機に必殺の砲火を浴びせて、これまた海中に葬る。右に反転しつゝ第二編隊の右側前方を行進する敵第一編隊三番機に攻撃をかければ見事に決まってたちまち三番機は火を発して尾部がばらばらに飛散し、百五十キロ沖の遠州灘に突っ込んでいった。更に三時十五分ごろ、○○少尉は十四機編隊を襲って右外側機を撃破したほか、○○隊は五機を撃破した。

 また○○大尉指揮の一隊は午後二時四十五分ごろ浜松上空で十五機編隊を発見、忽ち三機を撃破、次いで三時十五分ごろ十四機編隊を浜松上空で捕捉、一斉に攻撃をかけ、殊に○○曹長機はのしかゝるやうに左外側の五番機に直上攻撃をかければ、敵機は忽ち右翼から火を吐き、火の手は次第に広がり補助翼がばらばらに千切れて飛散り高度をぐんぐん下げて行く。

 それを○○曹長機をはじめ僚機があくまで追尾攻撃を続行すれば、火の手は左翼にも回りつひに胴体と翼が空中分解して○○南方約二十キロの遠州灘に水煙をあげて墜落、約十分間断末魔の黒煙をあげて海面で燃え続けたが醜骸は海中に没し去った。これは○○監視哨にも確認された。〇〇曹長は更に一機を撃破したが○○隊は三時半ごろ九機編隊を発見、猛烈な突っ込みをかけて遠州灘六十キロの海中に一機撃墜、ついで十機編隊を邀撃して一機を撃破した。

 このほかに○○隊長指揮の一編隊は一機撃墜、三機撃破の戦果を収め、かくてB29邀撃戦はじまって以来の大量戦果を一飛行隊であげたのであった。見事なわが戦闘隊の突っ込み攻撃に海中に撃墜されて行くB29の無残な姿は地上からも望見され、銃後生産陣は感激の快哉を叫んだ。

 この日の戦闘について基地の勇士は語る。
 「わが方にあっては絶好の戦闘高度にあったので全く思ふ存分暴れ回ることができた。敵は相当苦しかったと見えて盛んに無電を叩いたり自国語でペラペラやっているのが聞こえた。恐らく基地へ苦境を訴えていたものかもしれない。撃破のなかにも相当追撃を受けて基地へ帰れないものもあるはずだ」


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