読売新聞 昭和20年1月22日 月曜日
邀撃戦記(1) 高々度の鍔ぜり合ひ 凄絶な体当り 思へ荒鷲必中の敢闘 【某基地にて宮本特派員


 情報が入ると、震天制空隊員は飛行場の一角の天幕の待機所へ出てくる。そこで作戦指揮所から放送される次の情報なり、命令なりにぢっと耳を澄ますのである。拡声器が鳴る。鳴るたびに目標が近づく。やがて電探はマリアナ基地から刻々本土へ接近するB29の数目標をしっかりつかまへた。

 『くるかッ』『ようしッ』われとわが心にいふ。それは低いけれども斬ってすてるやうなつぶやき。また『ほい、けふのは大人かな』(注=大人とは本格的の大編隊をいふ、震天隊員はそれを待っている)といふ眼の玉の大きな若い伍長の声も聞こへた。一般に警戒警報が発令されるのは、まだかうした会話のあってから後一時間も一時間半も経過してからである。

 ことしにはいってからももう二回、帝都附近の人たちは、はっきりと自分の眼で、震天制空隊員の体当りを目撃した。
 きらりきらり金鵄のごとき光をはね返し、B29のうす白い影に差しちがへていったあの神の翼を頭のうへに仰いだ。あゝやった、と叫んで拝んだあのときの気持ちを落ちて行く黒煙を吐いた醜態に思はず万歳し手を握りしめたあの一瞬を記者はいま出動をまつその神鷲のまへで眼を閉ぢて思ひ超すのである。
 そしてルソン島の決戦がやうやく重大となったとき、皇土の上空、一億の眼前で行はれているこの体当りについてわれわれみんなもう一度よく心をきめて考へてみなければならないと思ふ。一機命中ではない大上段の必殺の一閃である。

 我々は鍛へに鍛へられたこれらの勇士が体当りのために純忠の至誠の衝撃であるこの精神の底に流れているものに就いてはっきり自己を照明して見なければならないと思ふ。
 また情報が入る。震天制空隊員たちはもうほとんど口をきかない。ひっそりと腕をくみ、はるか烟霧に淡い西の山を眺めているのは高山正一少尉だ。右のこめかみに、去る九日の体当りで負ったかすり傷がみえる。
 板垣政雄伍長がそのまへで、胸に吊した大きな飛行時計を無心にいぢっている。時計に結んだ桃色のリボンか緊張している空気の中に目に沁みる。

 高山少尉でも板垣伍長でもすでに体当りで敵機を粉砕した殊勲の人たちだ。その神鷲が、いままた体当りで敵を屠るために、刻々と迫る出動のときをまっている。特攻に、体当りに難易はない。しかしまづ一度きりのはずの体当りを二度でも三度でもくり返す震天制空隊員の気持と剛胆さと貴任感と闘志とをわれわれはいったいどう考へたらよいだらう。ここに皇土邀撃戦の荘厳な姿と、高々度における体当りの鮮烈な現実がある。

 戦闘操縦者なら誰でも体当りができると思ふと大きなまちがひである。殊にB29に対して行ふ高々度の体当りは、技術でも精神でも第一級の操縦者でなくてはならない。高々度では飛行機の性能がどうしても落ちる。たとへば地上で百馬力でる発動機も、かりにそのまま満々度へもってゆくと十馬力になってしまふ。舵なども下で思ふ半分も動かず、少し急な操作をするとみるみる高度が下がるといふ。
 高度差は体当りの場合とりわけ大切で、B29も必死になってあげてくる。体当りは先づ高度獲得の最もすさまじい争闘なのだ。空の特攻隊は優秀な機に物をいはせてグングン敵を引き離してグッーと突掛ける。

 敵はわが体当りを何よりも恐れている。体当り機が直前方に現はれるとB29は夢中になつて右に左に大きな回避運動をする。その操縦性能は相当なもので簡単にいってうっかり眼をつむると瞬間にかはされてしまふ。スコールを横なぐりにした様な火網もこゝを先途と荒れ狂ふ。かくて体当りはまた、射撃の場合よりもはるかに烈しい性能と技術のつばぜり合ひである。

『けふこそはけふこそはと上って、戦果もなくまた降りてくるときの気持ち。どこか誰もみてないところへいってそのまま突っこんでしまいたくなります。飛行場のうへまできて、仲間の飛行機が帰っているのを下にみつけ、やっとほっとするのです』
 震天隊の某准尉の言葉であるが、一撃の瞬時が決定性を持つ高々度の空の体当りではどうしてもこの苦衷をまぬがれ難い。そのうへに秒速五十米以上のもの凄い烈風と、零下四、五十度の厳寒の世界だ。感度もにぶり、視力も減退する。たゞもううまくぶつかりたい。立派にぶつかったものが一ばん幸福である。隊員たちはみなさういっている。
 あゝあの大空に、金鵄の光をはね返していた神鷲にこんな苦心。一億体当りとか、一億特攻精神といふやうな言葉はさうやすやすと口にできるものではない。

 体当り勇士は富士山のてっぺんに光る雪のやうなもので、われわれはそれを仰いで一歩一歩麓からふみ固めてゆくのだ。
 では天空で苦しみ、地上で苦しむ震天隊員が、つひにその苦しみに耐へ抜いて体当りを敢行する力は何か。九日の体当りで火を噴いて散った同隊員丹下充之少尉が日記にのこした家郷への言葉…
『一家の和合は聖戦完遂の最大要素なり。美しく和やかに暮されよ』

 この一切をあげて聖戦完遂に集中し得る決意の深さに尽きる。聖戦完遂の決意の深い人ほど体当り勇士の精神に近いのであらう。そしてこのアメリカに是が非でもうち勝とうとする体当り勇士の絶対の決意も、一万メートルの上空では「腕よりも精神よりも馬力だ」といはれるほど、高々度の気象気圧の重大な影響を受けることを考へ、生産者には入魂機を、料学者には高性能機をと強くお願ひしたい。

 この日敵機はつひに帝都へ現はれなかった。隊員たちが二度と帰れまいと思って出た居室に引揚げると、そこには出たときのまゝに人形と水仙とラジオと写真と尺八とハーモニカがあった。
 部屋の戸をガラッとあけて『おい中野、ピンポンをやらうぜ』あとからくる馬乗りの中野松美伍長に呼びかける板垣伍長の明るい声がきこえる…。(つづく)


新聞記事と244戦隊へ戻る