読売新聞 昭和20年1月10日 水曜日
片翼機と馬乗機の展示今月末迄延期 07.3.10

 ??帝都来襲のB29を体当り撃墜奇跡の生還をした四之宮中尉の片翼機は銀座松屋に、中野伍長の馬乗り機は日本橋三越にそれぞれ本社主催で特別展示中であるが、好評のため両会場とも会期を今月末日迄延長する。


昭和20年1月11日 木曜日
皇都周辺体当りでB29四機撃墜 あゝ三神鸞還らず 高山少尉は落下傘で生還 【某基地にて沢本記者】

 「俺は一機たゝき落としたよ。思はず機上でザマを見やがれと叫んだ」「俺は残念ながら撃破だった。今度はきっとやるから勘弁しろよ」
 九日帝都空襲にあがる震天制空隊某基地の感激は撃墜三機、撃破四機といふ戦果だった。B29の醜翼はわが一撃に遭ってたあいなく海中や麦畑、山林にみぢめな姿をさらした。殊勲の基地にわが制空隊の戦闘状況をきく。

高山少尉(製紙業正雄氏弟航空士官学校出身)
 十四時十五分頃甲府方面から○千米高度で東進中の一機を円無町上空で発見、直上方攻撃で左翼に体当りした。同時に敵機の燃料タンクは火をふき、きりもみ状態となって空中分解しバラバラになって国分寺町地先畑中に激突した。
 高山機も体当りの瞬間空中分解し少尉は機上から放り出されたが落下傘で無事降下して生還した.前額部にちょっと傷を負ったゞけだった。

高山少尉談
 敵侵入の報に直ちに離陸、高度○千米をとり立川上空で八王子方面よりB29三機が侵入して来るのを発見、前方から高度差○○米位から突っかゝった。しかし敵は体当りを恐れてこの時垂直旋回を試みうまく回避されて第一回は失敗。
 そこで自分は反転して敵の上方から敵機にかぶさる形で殆ビ垂直にぶっつかって行った。この時敵機の姿が見えない位にかぶさって行き丁度頃合ひを計ってぐっと機首を下げたのが敵の尾翼と左発動機にうまく命中したらしい。そのときは無我夢中だったが敵は空中分解したらしくこれは後できいて知った。
 自分の機は錐揉みで落ちたが、右翼の付根とエンジンをやられている程度で大したことはない。大事な飛行機だと思ったがどうしても姿勢が直らないので遂に落下傘で降下した。


安藤伍長(きのさんの長男少飛出身)
 十四時二十七分頃丹下少尉の体当りによるB29が銚子沖に没入するのを確認した。隊長機と共に索敵に当り高度○千米上空で三機編隊を発見した。隊長機らしい一機に猛射をあびせると次第に機首を下げてきた。これに追ひすがって江戸川付近上空で更に猛射を食はせた。安藤機も発動機と冷却器に敵弾を受けプロペラは落ち水平安定板もふっ飛んで不時着生還した。

丹下少尉(亀一氏長男特飛出身)
 十四時二十七分頃○千米高度で甲府方面から東進中の八機編隊を捕捉し田無町付近上空で左側の一機に後上方から左翼外側の発動機に体当り撃墜した。丹下機も同時に空中分解して放り出されたが重傷を負ひ落下傘で降下小平町経理学校付近で名誉の戦死を遂げた。

小林大尉
 十四時十五分頃三機編隊が三鷹町上空から東南進し始めたのを発見、小金井町上空から攻撃鹿島沖まで続行一機を撃破したが黒煙をはいて遁走した敵機の撃墜を確認出来なかった。小林機も数発の敵弾を受け○○に不時着した。

市川少尉
 同時刻帝都の上空で三機編隊の左外側機に命中弾をあびせ発動機から火をふいて遁走するのを確認生還した。

小川少尉、木原伍長の二機
 構浜付近の上空から西進、更に調布上空から西南進四機編隊の一機を撃破無事生還した。


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