読売新聞 昭和20年1月5日 金曜日 07.4.1
コツを忘れるな 殊勲の若鷲とらへて隊長が温い叱咤 功を誇らぬ戦果の基地 【某基地にて北條特派員発】


 六機撃墜、六機撃破…三日の午後名古屋方面に来襲した敵B29を邀へうってこの輝かしい大戦果をあげた基地は感激に沸たった。撃墜武功を土産に荒鷲たちが続々大空から降りたつと隊長は「ご苦労だった。よくやってくれた」と一人一人に賛辞をおくる。しかし荒鷲の凱歌はあくまで静かである。一機撃墜の竹田大尉にたづねると「いや、部下の仇をうてたので何だか胸のうちがすっとしたやうですよ」といふだけで撃墜の功にはまったく触れようともしない。

 過日の戦闘で部下の若鷲を失って以来静かな性格の大尉は悲痛な色さへ浮べていただけに、その復仇を見事にとげた大尉の胸のうちが記者にもはっきりとわかる。そこへ白井大尉が鈴木伍長とともに入って来た。白井大尉とて同じ思ひだ。突風のやうな荒鷲である。果然この日も三機撃墜、一機撃破の破天荒の武勲を立てた。
 「二機をやっつけた時メーターをみるともう燃料が七分ほどしかない。よほど補給に降りようかと思ったが、一気にやっつけた。いや、けふは全く胸がす−っとしたぞ」と怒ったやうに語るのであった。

 間もなく、どかどかと殊勲の若鷲たちがピストヘなだれ込んで来た。まだ二十歳を出るか出ない紅顔の若鷲たちである。隊長はその若鷲の一人梅原伍長の肩を双手で抱へた。
 「梅原、鈴木も太田もよくやってくれた。どうだ自信がついたらう。戦争だってかうだ。勝たうと思へばきっと勝てる。B29だって墜とせると自信がつけばきっと墜とせるんだ。この自信、このコツを忘れてはいかん…だが死を急いではいかんぞ。えゝか」

 ぢっと不動の姿勢のまゝ立っていた若鷲たちの両眼は涙にうるんでいた。この愛情切々たる隊長にしてこの戦果がある。かつて一兵として戦野を駆けめぐって来た記者も、この名隊長の言葉に胸が熱くなった。


昭和20年1月8日 月曜日
人形お供に いざB29邀撃へ 【某基地にて北條特派員発】

 皇土の神鷲震天制空隊のピストヘはじめて銃後から慰問の手紙がついた。その慰問文の中には翼増産の戦士として敢闘している東京都杉並区久我山の立教高女の学徒報国隊員たちが翼増産作業の合間にこしらへた可愛い手製のお人形もそへてあった。

 「私達が生産陣に御奉公出来るのも皆様のおかげです。この御労苦に報いる道は唯一つ、米英撃滅をめざして一機でも多くの飛行機を作ることゝ信じます。あのにくいにくいB29の鬼どもを退治して下さい。私も皆様のやうに体当り精神できっと大東亜戦を勝ち抜きます。B29を見るたびにどんな事があっても勝たねばならないと思ひます」

 とB29の醜翼へ燃えたぎる乙女の怒りに神鷲たちは更に敵機撃墜の信念を昂めるとゝもにそのお人形を飛行服につけて今度は体当りに可愛い道連れが出来たと大喜びで帝都の空を飛んでいる。


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