陸士56期 水越 勇少尉(終戦時大尉)の航空手簿。熊谷飛行学校と加古川の 第101教育飛行連隊時代のもの。 加古川での戦技教育を終了後、244戦隊に 原隊復帰し、3式戦を履修した。 |
課目 | 時 | 分 |
慣熟 | 14 | |
操舵感得 | 15 | |
水平直線飛行 | 18 | |
上昇降下 | 43 | |
水平旋回 | 47 | |
上昇降下旋回 | 19 | |
離着陸 | 15 | 0 |
着陸復行 不時着 | 21 | |
空中操作 | 4 | 0 |
特殊飛行 | 6 | 18 |
編隊飛行 | 9 | 37 |
計器飛行 | 10 | 6 |
基本航法 | 5 | 35 |
野外航法 | 1 | 48 |
目標牽引同乗 | 1 | 12 |
合計 | 56 | 33 |
上記の内単独飛行 | 22 | 20 |
課目 | 時 | 分 |
離着陸 | 1 | 13 |
空中操作 | 3 | 24 |
特殊飛行 | 8 | 0 |
高空飛行 | 1 | 40 |
編隊飛行 | 5 | 33 |
射撃予行 | 16 | 13 |
射撃 | 14 | 30 |
追躡運動 | 26 | |
急降下攻撃 | 1 | 25 |
分隊戦闘 | 12 | 35 |
小隊運動 | 15 | |
小隊対地攻撃 | 1 | 33 |
小隊戦闘 | 4 | 45 |
薄暮飛行 | 29 | |
中隊戦闘 | 46 | |
中隊運動 | 47 | |
合計 | 73 | 34 |
総合計 | 130 | 07 |
第101教育飛行連隊時代の水越少尉(後右から2人目)。彼は19年11月末、甲種学生 として明野へ転出。20年2月、飛22戦隊付となり、終戦まで4式戦を駆って活躍した。 |
小林戦隊長の個人的日記。この日記にも自らを励ますが如き言葉が並んでおり、 経験浅い若き指揮官の思い詰めた心境が窺える。 |
新藤仁平軍曹は、自らの事故により地上の母子の命を奪ってしまったことを最期まで 悩み続け、20年8月8日、八日市飛行場上空において板垣軍曹との単機戦闘演習中、 墜落炎上して22歳の生涯を閉じた。 この手紙を書いた当時は、鈴木伍長の後任として戦隊長僚機を務めていた。 |