酸素マスクを装着して出撃準備完了。244戦隊の勇士 |
先任飛行隊長村岡英夫大尉。空中指揮を執らなかった藤田戦隊長に代わり、244戦隊を実質 的に率いるとともに、当初、不具合の多かった3式戦の改良にも尽力した。 彼の猛訓練は語り草になっているが、卓抜な指揮官であり、多くの操縦者を育てた。彼が後の 「小林戦闘機隊」の土台を造ったと言える。 村岡大尉は、自ら育てた244戦隊を率いて帝都防空への参戦を熱望していたが、実現を目前に して飛20戦隊長に補せられ、その夢は叶わなかった。 |
19年末、調布を出撃せんとする小林戦隊長。彼は軽爆の中隊長から戦闘へ転科した操縦者 (明野甲学19年6月終了)で、戦闘機の経験は極めて僅かしかなかった。しかし経験不足をもの ともせず、率先して空中指揮を執り、戦隊の士気を大きく高めた。 |
調布飛行場で小原中尉(左端)の戦技指導に耳を傾ける「そよかぜ隊」の面々。 奥から生野隊長、前田少尉、木内少尉、松枝伍長、井出少尉。 |
終戦直後の八日市飛行場で撮影された244戦隊の5式戦。この後、プロペラと磁石発電機(マグネト)を 外され、占領を待った。5式戦は八日市だけでなく、調布、大刀洗、隈之庄にも少数を分散待機させていた。 八日市では終戦後、244戦隊が2機の5式戦を機密保持目的で焼却処分しているが、本機は排気タービン 式過給器装備の5式戦2型であった可能性が強い。 |
八日市飛行場で最期を迎えた陸鷲たち。キー102乙が数機認められるが、これは陸軍航空輸送部第6飛行隊が、 八日市から実施部隊へ空輸すべく用意していたものと推察される。 協力 武田克敏氏、武田延亮氏 |
白井長雄大尉 | 浅野二郎曹長 | 小原 伝大尉 |
B29 | 小型機 | 合計 | 出身期 | 備考 | |
白井長雄大尉 | 11 | F6F 2 | 13 | 陸士55 | |
市川忠一大尉 | 9 | F6F 1 | 10 | 少飛3 | 武功徽章甲 |
浅野二郎曹長 | 7 | F4U 3 | 10 | 下士86 | 武功徽章乙 |
小原 伝大尉 おばら つとう | 6 | F6F 2 | 8 | 航士56 | |
生野文介大尉 しょうの ふみすけ | 4 | P51 2 | 6 | 航士55 | |
小林照彦少佐 | 3 | F6F 2 | 5 | 陸士53 | 武功徽章乙 |
佐藤権之進准尉 | 5 | 5 | 下士81 | 小型機については不明 |
昭和20年1月20日、浜松飛行場における、みかづき隊第2小隊。後方は市川少尉 乗機の3式戦1型丙。左から木原伍長、市川少尉、鈴木伍長、釘田伍長。鈴木、釘田 両者は、20年2月16日の敵艦載機邀撃戦において戦死。 |