お知らせ 2002年分

刈谷正意氏 逝去 02.11.9

 244戦隊とともに帝都防空に奮戦した飛行第47戦隊整備隊の刈谷正意氏(少飛1期 終戦時大尉)が、11月7日、逝去されました。
 刈谷氏は、戦後民間使用が再開された調布飛行場で伊藤忠航空整備の関連会社を経営し、後には日本フライングサービスの設立にも参加されて、民間航空界にも大きく貢献された方でした。

 拙著を読んで下さったのが縁で何年か前の244戦隊会にゲスト参加されて、初めてお会いしました。その時のお話で、私が通った航空整備学校の創立にも刈谷氏が尽力され、教材用にセスナのエンジンを寄贈されていたことなどを知り、世の中狭いものだと思いました。

 244戦隊の戦死者の多さを、「何故、こんなに大勢(操縦者を)殺してしまったのか…」と驚かれていましたが、47戦隊では、独飛47中隊時代と殉職者を含めても総数20数名だったそうです。

 通常、小隊長(編隊長)は将校を据えるのが普通で、244戦隊もそうでしたが、これは戦隊長の権限でどうにでもできるため、47戦隊では階級にとらわれず、経験豊富な下士官を小隊長に任命しており、これが犠牲の少なさに貢献したのだろうと言われ、なるほどと得心しました。指揮官が未熟だと、部下たちは危ない目に遭うのです。

 私は、ご本人を前にしていると緊張してしまってなかなか質問が思い付かず、後から、あれも聞いておけば…と、いつも後悔ばかりなのですが、刈谷氏のご逝去によって、またそれを繰り返してしまいました。

 刈谷氏のご冥福を心からお祈りするとともに、頂いたご恩は、これからの仕事でお返ししていかねば…と、心に念じています。


244戦隊会開催 02.10.28

 このたび、平成14年度の244戦隊慰霊祭が、秋晴れの靖国神社において執り行われました。
 物故者ならびに病気療養中の会員も年々増え、懇親会の出席者は18名と例年よりも少なかったのですが、和やかな会でありました。
 出席者の内訳は、飛行隊4名、整備隊6名、本部等4名、遺族1名、同伴者等3名で、今回報告された物故者は、計4名でした。

 会員の高齢化に伴い、開催もあと1〜2年が限度との声もありますが、戦隊ファンの立場としては、永続を願うのみです。


戦時航空映画とキネマ倶楽部 02.10.6

 戦前から戦後初期にかけての日本映画作品を、足かけ16年にわたってビデオ化し、販売してきた「キネマ倶楽部(東宝・大映・日活・国際放映協同販売機構)」が、解散となりました。

 キネマ倶楽部が販売してきた作品の一つに、昭和20年6月の調布飛行場を舞台に撮影された「最後の帰郷」があります。
 この作品のことは、戦隊史調査を始めて間もなく耳にし、何とか見られないものかと大映に要望したところ、半年ほどしてビデオが発売されたのです。夢にまで見た、生きた3式戦や飛行場の映像を目にすることができ、このときは本当に感激しました。
 元戦隊員の方たちにもビデオをお見せして喜ばれましたが、特に、実際に撮影にも協力した特攻隊の方たちは、映画と自らの体験が重なって自分自身が写っていると感ぜられたようで、最後の出撃シーンでは、「あぁ、あれは俺の飛行機だ!」と叫ばれた方もおりました。
最後の帰郷 出撃シーン

「最後の帰郷」終盤の出撃シーン


 その他、キネマ倶楽部が扱っていた作品には、「加藤隼戦闘隊」をはじめ、航空審査部が舞台の「翼の凱歌」、零戦、天山、97大艇等が登場する「雷撃隊出動」など、本物の荒鷲たちが活躍する戦時映画がありましたが、これらの作品も当面、新たな入手は困難となりました(将来、一部は再発売されるのでしょうが)。
 大東亜戦争が、また少し遠くへ去ったような感慨を覚え、残念ではありますが、よく今まで一部の好事家のために多くの作品を見せてくれたものと、キネマ倶楽部に感謝すべきかもしれません。


敗戦後の金丸原飛行場で撮影された写真 02.9.10

 ここに掲載したのは、鍋屋こうしろう氏からご提供いただいた、栃木県金丸原(かねまるはら)飛行場の敗戦後の状況で、鍋屋氏のお父様が撮影されたそうです。既に武装解除が済んでいますので、時期は20年8月25日以降ということになります。
 別掲の全体画像には、99式襲撃機が18機写っていますので、部隊規模は1個戦隊と推定されますが、手持ち資料では、終戦時、当地に配置されていた戦隊が確認できません。部分拡大した
写真1では、3機に珍しい尾翼マークが認められますが、これも浅学のため知識がありません。何かご存知の方は、ご教示下さい。

 また、
写真2は遠方の準備線の拡大です。右端が襲撃機、次が4式戦、隣が1式戦と推定されますが、左端の機体は何でしょうか? 1式戦より一回り小型で、背も低い。つまり、エンジンが小型で、プロペラ径も小さい軽飛行機のように感じられるのですが、我が国にこのような低翼単葉機が存在したとは、寡聞にして聞いたことがありません。これも情報をお持ちの方は、ご教示を。

2機目と6、7機目に戦隊マークが

写真1 2機目と6、7機目に面白いマークが。丸の中にも何か図案がある。

左端の機種は何?

写真2 左端の機体は何? 隣の1式戦とは違う。



戦隊史の完売について 02.9.1

 拙著『陸軍飛行第244戦隊史』は、お陰様で完売となりました。皆様の暖かいご支援に深謝いたします。

 国に命を捧げ、この調布の地から飛び立っていった空の勇士たちの墓碑銘とすべく、本格調査開始から上梓まで5年半、そして完売まで更に7年を要しましたが、つくづく感じたことは、本を書くことよりも、売りさばくことの難しさでした。

 雑誌などで3度ほど紹介してもらったことがありますが、雑誌が店頭に並んでいる月には、まとまって出るものの、次号が発行されると見事なほどピタッと止みます。買わずに立ち読みしている人が多いということでしょうか。年に1〜2冊しか出ない年もあり、いっそのこと自分で処分してしまおうかと思ったほどです。

 これは後から聞いた話ですが、拙著を読まれた方が、郷土の歴史として「市報」で紹介すべきだと調布市役所にかけ合って下さったが、断られたそうです。一方、近所の床屋さんが、本書を店に置いて注文を取り次いで下さるという、本当に有り難いご厚意もいただきました。

 戦争の本をマスコミなどに取り上げて貰うには、反戦を強調して「平和のため」とか「悲惨な戦争を繰り返すな」といった常套句が必要らしいですが、
英霊たちは、決して平和のために死んだのではありません。戦に勝つため、国を守るために死んだのです。詭弁を弄するのではなく、崇高な志ある多くの勇敢な人たちを先輩に持ち得たことをこそ、私たちは誇りに思うべきなのです。

 色々なことがありましたが、最も意外だったのは、まだ何処にも紹介されていない時期から、どうして探したのか、本書に対して熱烈な関心を寄せて下さったのが、ごく普通の航空・模型マニアの人たちだったことでした。研究家だとか作家だとか出版社だとか、肩書きにあぐらをかいている者よりも、理屈抜きで純粋に「ただ、好きだ」という人たちの方が、遙かに強い力を発揮するという事実に感銘しました。

 陸軍航空関係者や郷土史家などを中心に案内状も出しましたが、何らかの反応が返ってくるのは約1割。注文は更に少なく、中には「読みたいが年金暮らしで余裕がない…」とのことで、寄贈させていただいた例がいくつもありました。
 そんな中で驚かされたのは、信用して本を送ったある研究家が、本書を盗用していたと後から知ったこと。また、航空戦史本も出していた某模型雑誌社が、押し売りとでも思っているらしく、案内状を突き返してきたことです。彼らは、どうせ無名の者による自費出版だと侮ったのでしょうが、この非常識さには、呆れました。

 なお、本書は既に版が破棄されているため、増刷はできません。また、皆様からご期待いただいている戦隊史改訂版(これを決定版にしたいと、私は思っています)の発行も、お誘いはいただいていますが、時間をかけて検討すべき点がいくつかあり、まだ見通しは立っておりません。

 このようなわけで、当面はHPの内容充実に努めて参りますので、今後とも皆様のご支援を賜りますよう、お願い申し上げます。
 本当に有り難うございました。


終戦時の旧満州で撮影された日本機の写真 02.5.21

 これは、旧満州新京(長春)飛行場で撮影された写真です。1945年8月、ソ連軍が撮影し、最近、ロシアの航空雑誌で公表されたものだそうです。我が国航空史においても実に貴重な記録でありますので、転載いたします。
 手前のメッサーシュミットBf108 タイフーンは献納機で、「
愛国258(満州協和)」の文字が書かれています。また、後方には1式双発高練が2機、左手にはロッキード スーパーエレクトラが2機見えます。これらは、満州航空が使用したものではないかと思われますが、定かではありません。

BF108 愛国258号 満州新京飛行場

 


 
本サイトが外国の雑誌に紹介されました
02.5.8

 このほどチェコの航空雑誌「REVI」42号 http://www.revi.cz に、「クローバー機」の虚説を検証する記事が掲載され、本サイトも紹介されています。内容は、私が244戦隊史および本サイトに書いた記事を、現地の研究家 Martin Ferkl氏が要約されたものです。
 私が知る限り、244戦隊史およびHPからの引用は、心ない者による盗用を除き、『陸軍航空隊のエース』 ヘンリー境田著/大日本絵画、『日本航空史研究会 会報』に続いて、これが3件目だと思います。
 姑息な「売らんかな」や功名心が編み出した虚説でも、一旦定着してしまうと、それを是正するには膨大な時間と努力を要します。しかし今回のような動きが、虚説の駆逐を加速させるものと期待します。
 

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