黒木少尉の微笑 06.2.1

 特攻作戦時の知覧飛行場には、何人もの報道班員が常駐していたはずですし、私が現物を見た写真の中にも「報国写真隊福岡支部」のスタンプが押されたものもありましたから、写真はたくさん撮られているはずなのですが、今日目にする機会は不思議に少ないと感じます。

 調布から出た特攻隊に関しても、日本映画社の高木報道班員が撮影したとされる上原少尉や京谷少尉らの写真は知られていますが、他にはほとんど覚えがありません。159振武隊西野伍長のことも高木氏が記事にはしていますが、写真は掲載されていません。

 これは、当時は新聞が紙不足から1枚だけ(裏表で2頁)になり、写真を載せるスペースが極端に少なくなって、写されても公表されなかった写真が多かったことが一因と考えられます。また、多くの新聞社屋が空襲に遭い、写真も焼けてしまった事情もあります。高木氏の写真にしても、もっとあると思うのですが、彼の没後どうなってしまったのでしょうか。

 知覧に高木氏のような日映の人間がいたということは、当然撮影班とセットだったはず。事実、ニュース映画の撮影が行われて、244戦隊が出撃するシーンも写されたと隊員から聞いたことがありますが、上映される前に終戦となって日の目を見ず、フィルムも残っていないようです。

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 そんな知覧での写真の中で、私が以前から気になっていた一枚がありました。
 その写真に写っている特攻隊員の、死の直前にも拘わらず、全く緊張も不安も感じられぬ、微笑さえ浮かべた表情は私にとって衝撃でもあり、これが誰なのかを知りたいと思っていたのです。

 その後、「従軍カメラマンの戦争」という本の中に同じ写真が掲載されていて、この操縦者が、調布から出た55振武隊の隊長黒木國雄少尉(陸士57期)であることを知りました。
 黒木少尉の知覧での様子は、本書にも、高木氏の「知覧」にも、このサイトにも詳しく書かれておりますが、死の直前の彼が、何故こんなにも穏やかな表情を浮かべ得たのでしょうか。
 そして、彼の視線。いったいどこを見ているのだろうか。このときの知覧飛行場が映っているのか。いや、もっともっと遙か遠くを眺めているように、私には思えてなりません。

 作家の伊藤圭一氏が以前新聞に、「戦記を書いていると、英霊が導いてくれたとしか思えない経験をする」という意味のことを書かれていましたが、私も航空戦史に関わるようになってから実に不思議な出来事に出会いました。

 本を書く端緒にもなったのが、平成2年に、かつての飛行場の用地で160振武隊の佐々木少尉が私の眼前に現れたことです。
 佐々木さんは、更に今から6年ほど前の秋の夜、「ドーン」という家を揺るがすほどの衝撃音(完全に地震だと思った)とともにこの世に姿を現されて、その時には家族が間近で目撃しています。
 この事件を英霊からのメッセージと受け止め、その意味するものを半年悩み考え続けた末の結論が、実は当サイトの開設でした。

 これを戦隊会で話したこともありますが、「あぁ、あなたも。やっぱり…」という反応が多く、不思議がる人がいないのです。
 死が身近な戦争の時代には、人の第六感が鋭敏になって霊的な経験をする人が多いのかもしれません。戦死する人は、一週間ほど前から死相が出て分かったとも聞きましたし、遺族の中にも不思議な経験をした人がおります。

 戦隊史に着手した当初、初対面の方に、「あなたには戦没者の亡霊が取り憑いている」と言われました。そのときはピンと来ませんでしたが、生来臆病な怠け者が、英霊に励まされ動かされて、なんとかここまでやって来れたのは事実ですから、今となってみると、やはりそういうことなのかと思います。

 最初に佐々木さんが現れたとき、決して凝視しているのではない彼の眼差しが、なんと遠くを見ているのだろうと感じたのですが、改めて思い起こすと、その視線は、写真の中の黒木少尉のそれと共通しているようです。

 では、彼らの目には何が映っていたのでしょうか。
 勿論、全くの空想でしかありませんが、昔の言葉ならば「
まほろば」というのか、平和な理想郷となった遠い遠い未来の祖国の姿が見えていたのではないかと、私は考えます。だからこそ、こんな穏やかな表情になり得たのではないかと。




昭和20年5月11日早朝、小柳次一氏が撮影した出撃直前の黒木國雄少尉。
『従軍カメラマンの戦争』より



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