南西諸島海軍航空隊喜界島派遣隊戦時日誌から
(昭和20年3月〜5月 陸軍関係の記載のみ抜粋)


昭和20年3月

時刻
離発着状況
備考
28
1845
陸軍三式戦斗機11機着陸 

29
1435〜1535
陸軍三式戦斗機11機攻撃ノ為出発
(燃料補給)三式×11

 知覧へ前進し第1攻撃集団麾下に入った飛行第59戦隊が、航法演習を兼ねた下見を実施したものと考えられる (攻撃ノ為はおそらく誤記)。
 59戦隊の知覧前進は
4月1日
とされているが、これは集結完了日を指しており、飛行隊主力は先着していたものと思われる。

昭和20年4月

時刻
離発着状況
備考

0913
陸軍九九式襲撃機1機不時着


1830
陸軍九九式襲撃機13機進出


1403
陸軍九九式襲撃機3機不時着


0740
一式戦2機着陸、1機着陸時大破


1700
陸軍一式戦2機、三式戦3機、陸軍九九式襲撃機8機進出



陸軍第一飛行攻撃集団長河原大佐進出。當隊ニ仮入隊、作戦ス


0610
一式戦2機着陸


1700
一式戦3機、九七戦4機着陸


0600
〜0620
陸軍三式戦3機制圧下ニ、一式戦4機、九九式襲撃機2機
那覇周辺船団ニ発進
(燃料) 一式戦×4 三式戦×3 襲撃機×4


九九式襲撃機5機徳之島ニ進出


1730
九九式襲撃機2機攻撃ニ発進


1745
九七戦5機一式戦3機進出


0630
陸軍九九式襲撃機2機進出


1700
陸軍九七戦5機攻撃ニ発進
(燃料) 陸軍九七戦×5

1910
陸軍九九式襲撃機4機攻撃ニ発進

11


空襲被害 陸軍襲撃機1機炎上
12


空襲被害 九七戦2機 三式戦1機炎上
13

陸軍九九式襲撃機徳之島向発


1815
陸軍襲撃機4機攻撃ニ発進
(燃料) 陸軍九九式襲撃機×5
14
1910
陸軍一式戦2機攻撃ニ発進
(燃料) 陸軍一式戦×2
15
1930
陸軍九九式襲撃機2機攻撃ニ発進
(燃料) 陸軍九九式襲撃機×2
16
1800
陸軍四式戦着陸燃弾補給ノ上1820発進
(燃料) 陸軍四式戦×1
20
1900
陸軍四式戦2機進出、内1機着陸時大破

22
1630
陸軍四式戦6機攻撃ニ発進
(燃料) 陸軍四式戦×6

1720
陸軍四式戦1機敵機ト交戦自爆

25
1730
陸軍九七式重爆1機着


1750
同機鹿屋向発(緊急輸送)

27
0620
陸軍四式戦1機出発


2015
陸軍九七式重爆2機着陸


2110
同機 鹿屋向発(人員輸送)

28
0527
陸軍四式戦1機出発


1648
陸軍四式戦1機着陸

29

陸軍四式戦1機出発


 重爆2機は、1攻集長川原八郎大佐一行と喜界島に残留していた操縦者の引き揚げが目的であったが、うち1機は帰途、行方不明となり、同乗の59戦隊第3飛行隊長井上大尉らが犠牲になった。
 なお、3月28日、徳之島に前進していた3攻集長今津正光大佐は、空襲の激化に伴い18日払暁徳之島を発って知覧に帰還した。その際、65戦隊第1中隊長中神大尉らの乗る重爆2番機が消息を絶ち、敵機に撃墜されたものと判断された。

昭和20年5月

時刻
離発着状況
備考

0530
九九式襲撃機1機着陸


0845
四式戦1機飛行場ニ着陸大破


0909
四式戦1機270度海中ニ自爆。四式戦1機赤連部落ニ不時着


0333
九九式襲撃機1機出発


0330
陸軍機3機出発


0507
重爆1機物量投下(陸軍関係兵器)




空襲被害 三式戦1機炎上
10
0415
重爆1機物量投下

11
0850
四式戦1機着陸

17
2235
九九式襲撃機1機着陸

18
1859
九九式襲撃機1機出発
(燃料) 九九式襲撃機×1
24
2258
重爆(靖国)1機不時着(左舷発動機被弾)

25
0842
九七戦1機着陸


0845
直協機1機着陸


1925
靖国1機着陸


1950
同機出発(熊本)

26
0354
九七戦1機出発 =水川中尉と田宮少尉同乗
(燃料) 九七戦×1
27
0853
九九式襲撃機1機着陸


1244
九九式襲撃機1機出発(万世)
(燃料) 九九式襲撃機×1

2145
一式戦1機着陸(六五戦隊)


2220
一式戦1機着陸(同)

28
0300
陸軍緊急輸送機2機(重爆)着 =残留特攻隊員の引き揚げ


0325
一式戦1機出発


0330
一式戦1機出発


0332
重爆1機出発(福岡ニ向ク)


0334
同 1機出発(同)


0754
三式戦1機(五四振武)着 =岡本一利少尉


1012
三式戦1機出発(知覧)


1929
四式戦1機着



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