昭和37年、当時の調布飛行場で遊覧飛行を営業していた三ツ矢航空の前で。 飛行機の翼下で子供たちが遊ぶなど、今では考えられない光景です。のんびりした時代でしたが、生きた飛行機に直に触れて育ったことで、どれほど愛着と憧れが醸成されたことか計り知れません。しかし翻って現代の状況は、全く逆のようです。 子供の頃、私は調布辺りの風景が好きで、永遠に変わってほしくないとさえ願いましたが、もはやあの頃の面影はどこにもありません。 現代の子供たちが老境に達したとき思い起こす、ふる里の風景とは、いったいどんなものなのでしょうか…私は寒心に堪えません。 昭和後期から平成にかけての日本人は、営利と利便の追求に狂奔するあまり、取り返しのつかないことをしてしまったと思います。(01.6.22) | |
写真1 98年11月、調布で開かれた244戦隊会の後、拙宅での2次会にて。 左から刈谷氏(47戦隊)、中山氏(整備隊)、加藤氏(震天隊)ら。 刈谷氏は2002年11月7日、逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。 |
写真2 右から加藤氏(旧姓板垣 震天隊)、三谷氏(整備隊長)、松岡氏(本部)。 雨の多磨霊園小林戦隊長墓前にて。 91年6月 |
写真3 調布飛行場仮泊所跡を再訪した元特攻隊員。右から井野、草間、飯田各氏 飯田幸八郎氏は、2002年11月13日逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします |