補足 07.9.10/11.6.27改訂

 今まで匿名にしてきましたが、本件のピアノを弾いた当人は、特操2期の鍋岡弘昭少尉です。鳥栖国民学校におけるピアノの件は本人も認めていましたが、彼は特攻隊員ではなく、第11錬成飛行隊の所属でもありません。また、音楽学校の出身でもありませんでした。

 彼は、国民学校へ行ったのは自分一人であり、もう一人の存在(作中の海野光彦少尉=音楽学校出との設定)は強く否定していたそうです。

 であるのに、作者がわざわざ架空の人物を登場させたのは、まさか実在の鍋岡少尉を「戦死」させるわけにはいかないので、架空の海野少尉に死んで貰ったということだと思います。

 出撃直前の特攻隊員がピアノを弾き、そして、その隊員が
戦死を遂げていなければ感動を呼ばないと考えたのでしょう。これはフィクションそのものです。
 下に引用した、「あえて実在の方から離れて、フィクションの人物を設定した云々」と書かれている意味が、ようやく分かりました。

 因みに、特攻隊員ではないようですが、特操の中にも音楽学校出身者はおりました。「夏の思い出」「雪の降る町を」などで有名な作曲家、中田喜直氏。彼は東京音楽学校卒業後、特操1期生となり、飛行第51戦隊付(下館)であったそうです。


「月光の夏」の真実 06.7.7

1.特操2期生

 もう、ほとんどが鬼籍に入られてしまいましたが、今から十何年か前、目達原の第11錬成飛行隊から調布に配属された特操2期生の方たちとお知り合いになり、お話を伺ったことがあります。
 その中で聞かされた一つが、
月光の夏という映画、知ってる? あれは嘘なんだよ」という話でした。ちょうどその頃、この映画が公開されて話題になりかけていたのです。

 何でも、モデルとなった特攻隊員が実在であれば同期生の可能性が高いために、特操1期、2期ともに同期会で調査を実施したが、該当者が見つからなかったばかりか、そもそも
特攻隊員の中に音楽学校の出身者は存在しないことが判明したということでした。
 この疑念を制作者に申し入れたが、無視され、映画はそのまま公開されてしまったそうで、皆さん不快感を持っておられました。

 私自身は、この当時特段の関心はなかったために聞き流してしまい、映画もその後テレビで見たものの、バカバカしくなって途中で見るのを止め、内容も印象に残っていません。
 しかし、今度振武寮のことを考える機会がありましたので、遅ればせながら原作を読んでみました。


2.実在しない特攻隊

 本書の記述を総合すると、モデルの二人は、目達原の第11錬成飛行隊で3式戦未修教育を受けていた特操2期生だったことになります。
 そして、明野教導飛行師団が編成担任となった特攻隊に配属され、一旦明野本部に移動して「1式戦」を受領、知覧へ向かったとされています。

 その特攻隊は1式戦6機の編成で、隊長は陸士57期、隊員は特操2期2名、少飛15期3名だそうです。一見ありそうな組み合わせですが、実は第6航空軍の既出撃隊の中には見あたりません。

 出撃日も書かれていないのですが、第32軍が首里から後退した頃だそうですから、5月22日以降なのでしょう。つまり、これは244戦隊が連日直掩任務に就いていた、まさにその時期ということです。
 にも拘わらず、直掩隊は飛行機が不足で飛べず、モデルたちの隊は一切の掩護なく6機だけで早朝の知覧を出撃。風間少尉機だけが発動機不調のために諏訪之瀬島付近から知覧に帰還したのです。

 第11錬飛で3式戦を修得していた者が、3式戦ではなく1式戦の特攻隊に任命されることも実におかしく、事実、11錬飛から特攻要員として転出した約70名の中に、1式戦の特攻隊に配属された者はおりません。

 更にいえば、1式戦を使った既出撃特攻隊は大半が12機編成であり、6機編成は2隊のみです。しかもこの2隊は、知覧ではなく万世からの出撃でした。

 以上から、二人が所属したことになっている
特攻隊そのものが実在せず、その行動経過も架空であるとの結論に達します。


3.ピアノのエピソードについて

 本件は、特攻隊員とピアノという、たぶん世間一般には意外であった組み合わせにマスコミが美談として喧伝したのでしょうが、皇軍将校には裕福な家庭の出身者が多かったですから、クラシック音楽に親しんでいた者は珍しくありません。

 特操2期の一部を教育した熊谷飛行学校児玉教育隊では、隊員はベートーベンなどのレコードを鑑賞し、チェロの演奏会まで開かれたそうです。また、私が承知しているごく狭い範囲だけでも、ピアノを弾くことができた陸軍将校は少なくとも4名おり、そのうち3名は操縦者、またその2名は特攻隊員で、戦没しています。

 ですから、鳥栖国民学校でのピアノのエピソードは、それが誰であったのかは別としてもあり得ることで、おそらく事実なのでしょう。
 しかしながら、私自身の経験に照らしても、一度会っただけの氏名も分からない人物を数十年後、しかも短期間に探し出して特定することは、
透視能力者でもない限り不可能であろうと判断します。


4.ノンフィクションとは

 著者は、あとがきの中で
実話をもとに、さまざまな事実をふまえつつ、創作した小説…」と一応断ってはいるのですが、これは巻頭に掲示すべきです。読者には創作部分も事実も見分けがつきませんから、その多くはストーリー自体を「実話」と受け取っているはずです。

 私も本書を読む前には、「ノンフィクション」というのはストーリーは事実だが、人物を仮名にしたり、状況設定を少し変えている程度のものかと思っていました。が、本書は全くそうではないことが分かり、驚きました。これでは、ノンフィクションもフィクションも同義のようです。

 著者は、当該の二人を特定したが、「
あえて実在の方から離れて、フィクションの人物を設定した云々」と書いています。しかし、これに続く人物を架空にした理由は、何度読んでも私には理解できませんでした。

 本件は、ピアノを弾いたのが出撃間近の特攻隊員であったと伝えられたからこそ話題になり得たにも拘わらず、前記のように特攻隊に関する記述は嘘ですから、
二人が実在の特攻隊員であり、更にその一人が特攻戦死したことを裏付けるものは、本書のどこにも見あたりません。よって、特操2期の方たちがいわれたように、本当は二人を特定できなかったのであろうと判断するのが妥当ではないでしょうか。

 特攻作戦は日本人の琴線を揺さぶる性質の出来事ですから、たとえば「特攻花伝説」とかホタル云々などのように、情緒的、感傷的な伝え方をしてしまいがちです。
 でも、だからこそ、事実を事実として冷徹に検証する姿勢がなければ、後世の日本人に真実を伝えることはできません。

 本書を読んでみて、特操2期の方たちの抱いた不快感が、私にも分かるような気がしました。


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