朝日新聞 昭和20年3月1日 (木)
B29百機撃墜破の凱歌 張り切る不死鳥 飛燕部隊 【某基地にて矢田特派員発】 03.1.3


 飛燕を駆って帝都の空を護る或る基地の隊では、このほどB29百機撃墜破突破を祝って心ばかりの宴が催され、昨秋最初の遊撃以来散った十七柱の戦友にこの悦びが報告された。

 失った十七神鷲のそれに比べて敵が受けた痛手の如何に莫大なものであるかは、敵搭乗員の掲耗約千二百人、加へるに山となすアルミの塊と三億円を超える出費を徒に太平洋の波に呑ませたことによってもわかる。僅か八十日間の戦果としてはまさに驚異的なものである。衝撃戦法を以て部隊の主攻撃法とし、八十日の戦訓は飛燕の数射撃を以てよく醜翼を地獄へと追ひやっているのだ。われわれの拇指大の機関砲弾があの巨大な胴体の或る一部を狙って射たれるとき、B29は醜くも空中分解し地上には跡も止めぬ惨憺たる残骸を暴す。

 別に新兵器を持ち出すまでもなく、その威力は最近の都民の目に映じた頭部のないB29の如き姿をもって雄弁にこれを物語っている。どこを狙えば・・・この点は紙上で明らかにし得ないのが残念である。しかし新攻法といヘども体当りとは紙一重の差のもので、わが百錬の制空隊勇士ならではのものである。「超空の要塞」と誇る敵唯一の虎の子もかう危うく果てるやうでは「超」も「要塞」もいまや単なる僭称で、飛燕隊の勇士が唄っている震天隊の歌の文句にあるやうにそれは「あほうどりの群れ」にすぎない。

 B29十六殺の標識を胴体に描いた不死鳥飛燕を駆って飛び立つ
大尉の如きがあると思ふと一度ならず二度までも体当りし、今度は微傷も負わず生還した衝撃二勇士がある。伍長は一回目ペラを噛ったが「今度は胴体でした」といまも健在、伍長は「一回も二回も尾翼でした」と少年兵同期の両若鷲は語るのである。震天隊員として第一回の体当りが同日なら次ぎの体当りも同じ日「俺たちは死神がきらった兄弟らしいぞ−」とまだ少年の日の夢を残した顔が明るく笑っている。両若鷲は第一回目生還の功により既に特進して軍曹となり、第二回目はまた互いに武功章を授けられている。

 この基地を歩いても制空隊勇士は実に明るく朗らかで、記者が生死などを問題にする口吻をうかつに発するとみなに笑はれてしまふ程である。其の中でもこの基地はとくに朗らかである。二十六歳の童顔隊長
大尉はみんなから「兄貴々々」としたはれている和気藹々若さの団結がこの驚異戦果を作ったものであらう。

 最近の隊は高々度侵入のB29のほか瀕々と来襲する敵大機動部隊をも邀へ撃たねばならず、或は高く或は低く、「飛燕、低空戦にも強し」は去る第一回来襲で十四機撃墜の戦果が示すやうに実證されている。電熱服もまとはずさほどの大口径砲を搭載してもいない飛燕は、精度の高い訓練によって心身を鍛へられた勇士たちが駆使すればこそ、この功を挙げているのだ。この腕前を持つ勇士に、さらに飛燕に倍する性能の飛機を輿へよ。勇士らは俺たち一隊だけでも、B29百機編隊に当たって見せると昂然たる意気を示している。しかし飛燕は依然B29に対する最強の翼である。

 
隊長機の胴体には、去る一月二十七日隊長自らの体当りによる撃墜標識が他の撃墜標識と並んで燦として輝いている。整備兵たちが想を凝らして描いた体当り標識は、赤く彩られてB29の同腹を食っている図だ。これは機にも機にも二つづつある。更に加へられるグラマンの標識・・・愛機飛燕の胴体はやがてこれら撃墜標識で埋められる日が来ることであらう。


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