昭和20年2月17日 (土)
この日のわが制空部隊基地 群る醜翼へ殴り込み 機上で頬張る油の握飯
【制空部隊基地にて矢田記者】 03.1.22


 霜融けの基地には泥がこね上げられ給油車が描く無数の軌條が左から右から地面を刻んでいた。整備兵は早朝からめしを頬張るひまもなく戦った。次ぎから次ぎへ舞い降りてくる燃料補給の友軍機・・・その数を数えることすらも忘れた程の烈しい基地であった。

 太々しくも大機動部隊を本土に接近させつつわが心臓部近くを反復狙った十六日朝来の敵艦載機群は、ラジオの情報で知らされたやうに我が陸海一体となった戦闘機群の邀撃を受けた。この日敵機は記者のいた陸鷲基地をもいくたびか襲って来た。

 最初の来襲はかなりの高度をサッと過ぎて行くのみだったが、午後になり低い薄れ雲が基地を掩う項となると突如として雲を割って接地する数機があった。しかし大部分の敵機にはどうしても低空へ近ずけないのだ。基地は上から見てはわからないのだが、鉄桶の対空陣地に包まれている基地に新入するや否やこの言語に絶する火網が敵編隊を捕捉するのだ。敵はかうしてなかなか基地には寄りつけなかった。

 正午近く敵を追いまくっていた
准尉からの報告が本部に飛び込んで来た。そこは関東北東部の工業地帯であった。僚機と共に蝿のやうに群がるグラマン艦爆へ殴り込みを掛けると敵は一応あわてたやうに隊形を乱したが、またすぐもとにかへる。この時突然背後から機銃の雨が降って来た。ふり返ると自分たちの上層に艦爆と同数くらいのグラマン4F戦闘機がいる。機はこのやうな憎い戦況を見ながら残念にも弾丸を射ち尽しやむなく基地に帰投した。


飛燕、低空戦でも勝乗り

 正午は過ぎても戦闘には一刻も休みはなかった。部隊長、少尉ら弾丸と給油に基地に数回も降着したが、地上に降りたのはこのうち一回、それも尿意に耐へられず、やむなくピストヘ走り込んだだけだった。勿論昼飯の時間もなく整備兵がきをくばって油で汚れた手で握ったにぎりめしを差出すのを「ありがたう」と出発間際に唸る機上で頬張っていた程だ。

 給油車の多忙さは次ぎから次ぎへの降着機への補給で空中戦以上の烈しさ。また降りてくる友軍機・・・それらはすべてわれわれの眼になじみの飛燕である。B29邀撃戦で戦功をたて敵からも怖れられている飛燕戦闘機である。皇土防衛の飛燕、この日はじめて敵小型機と交戦したのだ。高々度で勝名乗りをあげた飛燕は、この日はじめての低空戦でも堂々誇りを傷つけない敢闘を続けた。

 夕刻も近づき来襲最後の編隊と思はれる三十機前後の敵が上空にさしかかるや、われわれの基地はあらゆる火砲が一斉に火を噴いた。その轟音を破って敵機の爆音が近づく。しかも今度のは一番低かった。薄れ雲を巧みに利用して接近したが目的がはたせず飛去ったと見たとき、その編隊に遅れたグラマン一機がまだ頭上にあった。
 この時飛燕のキューンという金属音がして二機協同してこれに追射ちをかけた。アッ煙を引いたと見た次ぎの瞬間、グラマンは頭を真下に向け、ドス黒く塗ったアブのやうな胴体を基地近くの野ずらに吸い込まれるやうに消えて行った。この時夕陽は我々の場所から逆光線で落ちて行く敵機の墜落は実に鮮やかだった。さすがに烈しかった弾幕もこの瞬間は止まり、見渡す限りの陣地からは鉄兜が頭を現し友軍機へわれるような拍手を送った。喝采を叫んだ次ぎの瞬間はまた新しい残りの敵機が見舞って来た。しかしこの敵機はわが戦闘機二機に追ひまくられている。必死だった。地上二百メートルまで追ひつめられ、われわれの眼は思わずカッとなるくらひ接近して来た。敵は更に逃げようと基地掩体壕をなめるやうな低さに下がったが再びわが機に追尾される。逆光線のなかに赤黒い敵機がのた打ちまわる姿を僅か百五十米程の近くから見たのだ。つひに火を吐いたグラマンは追ひに追われ危ふく地上に激突するかに見えたが、悪運強くも降下で火が消えよろよろとよろめきながらも東方に遁走したが、その傷手は到底遠い母艦へ帰着までは保たぬものだと確認された。


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