朝日新聞 昭和20年4月25日 水曜日
体当り生還の隊長も B29邀撃へ天翔く 厚木から立川上空に激闘 【制空隊基地にて矢田記者】


 こちらは一機の損耗もないのに敵さんは六機撃墜と二十機大破の被害さ…作戦室から出てきた将校の一人がいきなりかう呟いた。敵がまだ南にむけて遁走中の頃である。敵は二十六機の損耗を出し、われは全機基地に帰るの晴々しい邀撃だった。

 二十四日朝の戦果の大半は例の「つばくろ部隊」のあげたもので、飛燕の基地はこの日もワッと凱歌をあげたのだ。この朝、基地では本土近い洋上でグルグル旋回して一向に侵入しないB29群をみて「こりゃPさん(P51の略称)随伴でいらっしゃるかな」と隊長以下首を傾けて離陸して行ったのだったが実はこれがルメーの逆手で、P51を引連れるかに見せてさにあらず、頃よしと見てさっと北進を始めた。

 これを捕らへたのが厚木上空。こちらは編隊を「団子」にして待っていましたとばかり 上から突掛って行った。度重る邀撃で鍛へ上げた攻撃力は実に素晴しい成果を上げ、二十分間、別に追いかけを掛けず同じところをグルグル上下降している間にこちらは無疵のこの戦果となった。厚木上空から立川間、実に僅かの距離であった空の戦場…これも例のないことだった。

 実をいふとけふの飛燕隊戦士らの念願はP51を全機叩き落とすことにあったのだが、目ざす敵が来ないと判るとその全力をB29に叩き付けた。
隊長は敵と相打ちし落下傘降下で生還したものの、その際、脚部に受けた貫通創でまだ臥床中だったが、忿怒の情やみがたく隊員とともにこの団子集団に加はっていた。しかもまっ先に敵を墜としたのも隊長であった。少尉、少尉、軍曹ともどもまこと飛燕のように上っては下った。

 先頭の十一機集団に束になって噛付き、一斉降下をかけやがて急上昇してもとの五千ぐらいの高度にかへると、都合のよいことにもう次の十二機集団が同一コースを飛んでいる。これにまた火の矢の束を浴せ、一撃離脱、上昇すれば次の第三梯団が…といふ具合であった。

 この日の戦闘は宙返りの連続に終始したわけである.「つぱくろ部隊」のこの日の戦果は四機撃墜、十三機撃破…いつかまだ春浅い頃、百機撃墜破を記録したと報告した飛燕の基地では、この日の戦果を加へすでに百六十四機を屠っているのだ.


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