『狂界線』 伍.六/叫、刻み込め。 外に出て歩く事一時間少々。着いた場所は今は使われていない昔の宿舎があった場所だ。手も加えられていないし取り壊されたわけでもないため、幽霊屋敷のような雰囲気を醸し出している。 「へえ、こんな所あったんだな」 入団して長い事いるわけではない雪那は初めてここに来た。建物の配置は全体的に現在と同じような場所にある。外見は崩れているものの、外装は現在のものより少し派手だろうか。 「雪那はここに来たことないんだよね。前はここに暮らしていたから懐かしいな」 幼少の頃からここにいたテュッティにとっては特に思い入れのある場所だ。ここで瀬里奈と初めて出会って、同じ部屋で過ごし始めて、訓練を受けて育って。そんな、始まりの場所。 「それで、瀬里奈。ここで何を?」 「うーん、ここで間違いないはずだけれど」 「何か頼まれたのか?」 「まあそうなんだけど」 ズンッ 鈍い、音がした。 「……え?」 次に雪那が見た光景は。 「――」 体を黒い刃で貫かれた、テュッティの姿、だった。 崩れ落ちる―― 映像がスローモーションで流される。駆け寄ろうとしても体がゆっくりとしか動かない。早く、早く。急がないと。こんなに体は重かったか? 倒れ、た―― 「テュッティ隊長!」 ダンデオンが叫ぶ。雪那は駆け寄って抱え上げるが、本人はもう衰弱していた。 「う……あ……」 呻く。その声が耳に届くと雪那は絶望的な状況しか考えられない。だが、それでも。意識をフルに回転させて刃の飛んできた方角を見た。 「嘘」 そのセリフは、瀬里奈のもの。 なんで? 話が違う――、いや。最初からこれを狙っていたなら。私が壊れたときに接触したのは、もしかしてあの時、私が吐いた『まだ嫉妬はしてる』って、まさか。協力するって。そんな 「あ、あ、あ、ああ、ああ」 頭を抱えて崩れ落ちる。ち、がう。こんなことを望んでいない。また、一緒に。歩いていけそうだから。私は、 「――」 眼を見開いて何も言えなくなったのは雪那だ。刃の飛んできた方角には壊れかけた宿舎。その上に一人の人物が立っている。見間違えるものか。だが、信じたくはない。そんな。これが代償、だというのか。その人物が口を動かす。言葉はここまで聞こえないものの、動きから何を言ったかは読み取れる。 ――苦しみなさい、兄さん―― 「……!!!」 最後に口をニヤリと曲げて見せて。紅い髪と紅い右眼の雪華は消え去った。 (駄目……雪那を、雪華ちゃんを) 「なんで!? 治癒魔法が効果が無い!」 「隊長、魔眼でどうにかできませんか!」 「う、ああ、やってみ――」 ズキン! 「あぐっ!」 左眼が、軋む。そうだ。片方が使用すれば不完全であるが故にもう片方にリスクが現れる。近くで魔眼を開放している雪華がいる以上、雪那には激痛が伴う。(そんなことはない) 「く、こ、のお」 無理にでも雪那は魔眼を開放しようとする。左眼から、血が流れた。(それもあるはずがない) 「隊長!」 「ぐああっ!」 「! せ、つな、だめ……」 テュッティが左眼に手を伸ばす。 「いいや、お前を助けるから」 「駄目、だよ……雪華ちゃんの、シナリオ、通りに、動いたら」 「……え?」 テュッティは自分がこんな状態にも関わらず一番状況を冷静に理解していた。狙いは、雪那を完全に再起不能になるまで叩き落とす事。それこそ精神崩壊になるまで。だから、ここは。 「馬鹿、なにを言っている!」 「だめ、だよ……お母さんとの、約束……」 その言葉に雪那が止まった。そう、この状況を一番望んでいないのは誰だったか。 「でも」 「雪華、ちゃんは、まだ、引き返せる」 「テュッティ隊長、しっかりしてください!」 フェイミンの声も、もはや届いているのだろうか。体に刺さった黒き刃は禁呪の規模を縮小させたものだった。しかも体が消滅しないように加減まで加えられている。ただ単に魔力が強いだけではなく、天才としての才能。 「瀬里奈、どうにかして!」 しかし瀬里奈は頭を抱えて座ったままがくがくと震えている。まるで自分のせいのように。 「嫌だ、わたしは」 「瀬里奈!」 なんで、こんなことに。私は確かに嫉妬してたし、いなくなってほしいと願った! でも、死んでほしいなんて一度も考えた事は無い! 「雪、那」 弱々しい声に答えようと必死に手を握り返す。もう涙で顔がぼやけて見えている。 「駄目だ……! 死ぬな、お願い……!」 頭の中にはいつもと同じ笑顔。あの日からいつも一緒にいてくれて、悩みを聞いてくれ、喧嘩をして、告白して、キスして、抱いて。そしてこの瞬間、彼女は口から血を吐いて。 「なあ、頼むから!」 「私、しあわせ、だったよ……? だから、なか、ないで」 頭に駆け巡るのは今まで歩いてきた人生。あの日からいつも一緒にいて、悩みを話して、喧嘩もして、告白して、キスして、抱かれて。そしてこの瞬間、彼は左眼から血を流して。 「……」 優しく、微笑む。 「なんで、なんでそういう顔できるんだよ!」 「だって……あなたに、こんな顔、してほしく――」 ――握っていた手から、力が抜けた。 「――なあ、冗談、だろ」 答えない。 「なあ、いつもみたいに笑ってくれよ」 答えない。 「いつも、みたいに、なあ……」 声が、枯れる。涙が、零れる。 「お願いだから、お願い……」 もう、全てが。 「まだ、これからなのに」 聞こえてはいない。 「まだ、まだ」 「たい、ちょう」 瀬里奈が、全ての引き金を引いたことを確信して、 「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」 雪那が、愛する全てを失って、 「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」 ―叫びは、全ての世界を包み込む― 輝く月よ、あなたは何を見ているのですか? 『全てを』 吹きすさぶ風よ、あなたは何を運んでいるのですか? 『息吹を』 広がる海よ、あなたは何を満たすのですか? 『心を』 変わる空よ、あなたは何を与えるのですか? 『恵を』 星よ、あなたは何故我々を生かしますか? 『ヒトであるが故に』 お前は何故血で染まる 『死神だから』 ――そうか。 |