『狂界線』
四/失われたモノ、
埋め込まれたモノ。




ギンッ!
「あうっ!」
 右眼に、激痛。そして脳の神経が焼き切れるような感覚に襲われる。
「あ、あっ!」
 歩けなくなるほどの激痛に何とか耐え、右眼を押さえる。手にはべっとりと血がついていた。
「うあああっ! あ、がっ!」
 膝をついてからようやく痛みが引いてきた。なんとか体勢を持ち直し、再び歩き出す。しかし本人は気付いていない。今までとは違う方角に向かって歩いている事を。
「はあ、はあ、はあ」
 木に手をつきながら歩いていく。歩くことをやめることなく、ひたすら歩く。人影が見えた。木に寄り掛かっている人物が誰なのかしっかりと確認できるまでの距離になった。右眼を押さえて確認する。その少年は同じように左眼を押さえていた。頬を流れている血を拭おうともしていない。
「……」
 ワカル。あの日から何年時間が経っても、姿が成長していても。このヒトのことを忘れた日など一度も無い。
「……」
 ワカル。あの日から何年時間が経っても、姿が成長していても。この少女のことを忘れた日などあってはならなかった。

「にい……さん」
「雪……華」

 互いに片目を押さえて名を告げる。呼び合った。不完全な魔眼を持つが故に、互いが互いを。どうしたらいいか言葉が見つからない。だが二人の頭の中を駆け抜けた光景は同じモノ。忘れる事など許されず、忘れる事などできるはずも無い、あの日の光景。血で満たされた体と心。
「お久しぶりです、兄さん」
 痛みは既に引いていた。このためだけに痛みが走ったのだろう。今、この瞬間のために。
「八年ぶりだな」
「ええ。お元気そうで」
「生きていると信じていた。そっちも元気そうだな」
 生き別れの兄妹にも関わらず、警戒を解かない。探り合いをしているかのような会話。しかし、不思議と違和感がない。
「……私は、あなたを許したくはない」
「……俺は、お前に許してもらえるとは思っていない」
 この二人をここまで追い詰めたのは一体なんだというのか。母親か、それとも。
「それでも構いません。ただ、一つだけ聞きたい事があって今まで探し続けました」
「……答えよう。今だけ俺には選択権は、無い」
 怨み、妬み、憎しみ、復讐。希望、願望、絶望。
「あの日、あれは自分の意思でやったのですか」
 拒否権、黙秘権、選択権。
「……抑えられなかったと言っても信用できないだろう?」
「ええ」
 足掻け、ない。
「一瞬我慢すればよかった。できなかったのは――」
「――」
 その言葉に雪華の顔が怒りの色で染まる。
「本気で、その言葉を吐きますか」
「……隠すことはできないさ、俺は」
 権利なんてモノはあるわけがない。あったとしても、できるわけもない。
「謝ろうとも思わない。謝ってお前が満足できるなんて到底考えられないから」
「謝罪はいりません。そんなモノでは満足などできるはずがない」
 完全に、亀裂が走る。
「何故ですか」
「逃げないと、あの日に決めたから」
 もう、わずかな希望は完全に潰えた。求めていたモノはたった今、兄自身の言葉で破壊された。
「……殺したいか」
「ええ。誰よりも、何よりも」
 こちらに近づく気配がある。ガサガサと歩いてくる音が徐々に大きくなってきた。
「もう私の願いはいりません」
 幼き頃から怨みと同じく持ち続けたわずかな希望。
「俺はどうしたらいいか解らない」
 幼き頃から悩み続け未だに出すことのできない結論。
「もう、二度と」
「まだ、できることがあれば」
「いりません」
 全ての拒絶を叩きつけられ。雪那は俯いたまま顔を上げることができなくなった。
 雪華はもう二度と振り返る事は無く遠ざかる。泣けない。なんで。こんな時くらい、泣いてもいいのに。
「代償は払ってもらいます」
 誰に向かっての言葉か。自分自身にも重く圧し掛かる言葉を吐いて、雪華は最悪の選択肢を選んだ。
「すがったら駄目なのか」
 自分への言葉ではない。他人を言い聞かせるための言葉を吐いて、雪那はまだ繋ぎとめようとしていた。接続するポイントは、既に無くとも。
「さようなら」
 どちらの言葉か。最早知る人物は、誰もいない。



幼い頃に眼というフィルターを通して見ていた光景は、何よりも汚く何よりも輝いていた。その光景が血で染まる。その瞬間から壊れたのだ、全てが。脆いのは肉体ではなく心。綺麗なのは自分から見た他人だけ。自虐的になればなるほど汚れていく。開き直ればその瞬間から汚れていく。この世に美しいヒトなど、存在しない。無邪気であること意外に輝く術はない。子供は輝き、成長と共に汚く染まる。どうしろというのだ、この螺旋から逃れるには。

…to be continued


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