笑顔


先日、十年以上にわたって欧州で暮らしている旧知の友(女性)が日本に里帰りした際に会う機会がありました。
約束の場所で再会した瞬間、ちょっと感じが変わったかなと思い、失礼ながらまじまじと見つめなおしてみましたところ、顔全体の作りというかイメージが若干欧州風になっていることに気が付きました。

夫婦は(仲良く!)長年連れ添うと顔も似てくるとか、男は四十過ぎたら顔に責任持てとか言われますが、それは自分を取り巻く環境や、人生への意気込み・生活態度が顔に反映されてくるからだと思います。
旧知の彼女の場合も、配偶者が欧州人であり、また彼の地で子育て・仕事をしていることから、どっぷりと異国の環境に浸かった結果の表れだったのでしょう。

以前に、漫画家の黒鉄ヒロシさんの書かれたエッセーの中に、駆け出し時代に自堕落で賭け事に溺れていた時期、ある朝に鏡に映った自分の顔に(醜悪であったからだと思いますが)愕然とし、きっぱりと賭け事をやめたということが書いてありました。
この原因を思うに、日頃の心掛け・精神状態や生活態度が直接的に顔貌の変化に影響していると考えられますが、そのような状況や境遇に陥っている場合、生活に笑いがない(あるいは少ない)ことが大きな副次的要因となっている気がします。さらに言えば、あまり笑うということをせず‘しかめっ面’ばかりしている人は、段々とそれなりの顔になってくるのではないでしょうか。

街角や電車の中などで見るとはなしに観察していると、この人はいつも‘しかめっ面’ばかりしているのだろうな、ひいては精神的に小波が立っていたり荒れたりしているのだろうなという顔をした方を見かけることがあり、他人事ながら寂しい気分になることがあります。
(もっとも、あまりニコニコしている人も、それはそれでちょっと不気味ですが・・・)

人と他の動物との大きな違いは、前頭葉の発達により他者への思いやりや人生の意義を考えたりする想像力(あるいは創造力)を有することと、笑いという感情を持つことではないでしょうか。
逆に言えば、自分本位に考えて本能の赴くままに生き、笑うことをしなくなった時、それはどこか獣の領域に陥っていくように思えますし、その結果が顔にも表れてくるように思います。

高邁な精神をもって努力を怠らず、充実した毎日を過ごしてひとかたならぬ成果を上げた結果、煌めくような素敵な顔になるということが理想的でしょうが、(私を含めて)凡夫としては、まずは思いやりの精神を忘れず、笑顔を絶やさないということから始めるのが素敵な顔を手に入れる一歩ではないでしょうか。
職場の同僚からの呼びかけに応じる時、帰宅した際に妻に‘ただいま’を言う時、子供に話しかける時、そんな日常の一コマに微笑みを添えたいものです。

笑顔は他者をも幸せな気分にさせます。笑顔で接することによって身の回りの方々へ幸福のお裾分けをすることは、仏教で言うところの大事な布施行になるのです。