祖父の葬儀


過日、祖父が享年89歳にて死去しました。
祖父は前住職でありましたので、現住職である私が喪主を務めました。
寺族であった者の寺葬となると何やら大層な儀式となるかと思われる方もいるかも知れませんが、若干の仕来りや決まり事はあるものの、基本的な葬儀の形式・進行は一般の場合とさして変わりありません。
喪主であった私は僧であり住職である訳ですが、自分でお経を読むことはなく、日頃よりお付き合いのある他寺のご住職にお願いいたしました。

住職就任後、葬儀を出す立場として初めて身内の葬儀に携わり、お葬式には実に多くの用務があることを再認識いたしました。葬儀の準備・進行打ち合わせ、行政上の諸手続き、祭壇等の設営、会食(お斎)の手配・給仕、香典の管理・名簿作成、会葬御礼などなど・・・
葬儀進行上一番重要である式次第の司会進行役は、経験・知識豊富な式事と呼ばれるお坊さんに行っていただけますし、上述の用務のいくつかは檀家総代さんに担当していただけましたが、終始多くのことをお世話になり、かつ頼りになったのは葬儀社の担当責任者の方でした。

僧として多くの法要や葬儀に携わってきておりますので、一般の方よりは多少の知識がありますが、その中心は通夜・告別式自体の進行および宗教的な勤行作法についてであり、その周辺(事前・事後)の諸用務に関しては、お恥ずかしながら知らないことも少なからずありました。

当HPの「葬儀について一考」の頁で葬儀社主導の葬儀について、その是非を少々述べておりますが、今回の寺葬に際しては(葬儀社主導ではないものの)実際のところ葬儀社の協力が大いに助けになりました。担当責任者さんの人柄・仕事振りも非常に好感がもて、遺体の髭剃りや化粧などの対処を見ていても心を込めて作業されているのが傍目からもよくわかりました。
もちろん、今回の件のみで葬儀社関与の葬儀を全面的に評価・賛同する訳ではありませんし、たまたま担当者に恵まれただけなのかも知れません。また、穿った見方をすれば、寺という利害関係者向けに多少の特別待遇がなされた可能性もあったかも知れません。

いずれにせよ、物事すべてに通じることでしょうが、葬儀社に依頼・利用するにしても、自分の中でその利点や利用意義を明確にしておけば、使い方によりメリットがあるということだと思います。今回は、この一面を再認識した次第です。

なお、葬儀社関与の葬儀で一つだけ言わせてもらうと・・・
寂しげなナレーションは仕方ないとしても、必要以上に涙を誘うような何とも寂しげなBGMはどうも好きになれません。