□ 連盟の沿革
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1962年(昭和37)
日本スポーツ少年団発足
埼玉県スポーツ少年団誕生
1977年(昭和52)
結成準備会開催
連盟結成の打合会が小川町で行われ、「結成準備会の開催」が検討。会には、戸口勝美氏(小川町)、野沢隆氏(東松山市)、進藤勝男氏(嵐山町)、また同会には、有志数名がオブザーバーとして同席した。
1978年(昭和53)…加盟24団体
野球連盟発足:3月21日に結成準備会開催(小川消防署)。4月23日に結成総会(志賀二区自治会館)。4月30日 結成大会(嵐山町)。
比企郡・東松山市内の全少年野球チームのスポーツ少年団への加入を促進し「青少年の健全育成」を目的として野球連盟が結成される。
当時近隣町村で交流の深かった東秩父村(秩父郡)、江南町(大里郡)から3団体を特別会員に加え24団体で発足する。
1979年(昭和54)…加盟26団体
連盟規約制定:連盟規約、大会開催要項、会計規定が制定される。
1980年(昭和55)…加盟31団体
西部地区大会へチーム派遣:西部地区大会へ12チーム(春季大会ベスト8+推薦4)を派遣。
1981年(昭和56)…加盟34団体
大会開催に共催形式を採用:大会を開催市町村スポーツ少年団本部長と連盟会長との共催とした。
1982年(昭和57)…加盟33団体
優勝旗寄贈:玉川村 柏俣氏から大会優勝旗が寄贈された。
1984年(昭和59)…加盟38団体
朝日新聞社共催となる。
1985年(昭和60)…加盟40団
投球回数規定制定:選手の健康を考慮し、投手の投球回数を1試合4回、1日7回までとした。
1986年(昭和61)…加盟41団体
夏季大会開催:夏季大会を小川町で開催(平成2年まで5年間)
審判部発足:審判部規定制定。
1990年(平成2)…加盟41団体
表彰規定制定:表彰規定が制定される。
1992年(平成4)…加盟40団体
創立15周年記念式典開催:5月30日に15周年記念式典が小川町町民会館にて開催される。
5月31日指導者交流野球大会(玉川総合グランド)。夏季吉見町大会を15周年記念冠大会として開催。
審判運営委員増員:審判運営委員が増員される。
1996年(平成8)…加盟35団体
21アウト規定制定:選手の健康を考慮し、投手の投球回数を1日21アウトとする。
1997年(平成9)…加盟35団体
創立20周年記念式典開催:5月31日に20周年記念式典が東松山総合会館にて開催される。
夏季玉川村大会を20周年記念冠大会として開催。
1999年(平成11)…加盟35団体
東秩父村を会員に:これまで特別会員であった東秩父野球が特別会員から正式会員となる。
慶弔規定が制定される。
2000年(平成12)…加盟34団体
優勝旗寄贈:ロータリークラブ等の協力により、新しい優勝旗が寄贈される。この際、柏俣氏の御骨折りをいただいた。これまでの優勝旗を新人戦(秋季大会)の優勝旗として、また新優勝旗を本大会用として使用することとなる。
埼玉新聞社が協賛となる。
2009年(平成21)…加盟団体31団体
青鳥野球と大岡野球が合併。松山西北野球スポーツ少年団を結成。

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