お雑煮

 年末の大掃除が進み、役割のガラス磨きもどうにかこなす事が出来てヤレヤレと 言った所・・・
昔のガラス戸はガラス一枚一枚が今ほど大きくなかったので面積の割りには枚数が多くて、 ガラス磨きも随分と手間がかかった。 それに障子張りだって障子を水洗いしてきれいに新しく紙を貼り終えるまでには随分と 手間が掛ったものだ。
  障子はさかさまに立て掛けて上から(つまりは障子の下の部分から)順に貼って行くと、 障子紙同士が重なる部分で上の紙が覆う事になるので埃が溜まらずきれいになる_、 それに貼り終えて霧を吹いて置き 暫らく後になってみるとピンと綺麗な障子が出来 あがっている、 まさに「やったァ」と言った喜びに包まれる。
  ・・・こんなわけで歳末は忙しく過ごす事が多かった様に想う。

 台所からコトコトという野菜などを切る音が聞こえ、やがて煮物の香りが流れてくると それは大晦日・・・
その香りはオフクロの時代も、またその後数十年も経った今も何故か 同じ懐かしいものがある。
しかし今では年末の労働も軽減されたし何かにつけて簡素化が進んだので、どうやら 昔に較べれば 新年の感激は新しいカレンダーの表紙をめくる位のものになってしまった かも知れない。
 テレビの「紅白・・・」が終わって除夜の鐘を遠くに聴けば新しい年は来る。

   我が家ではまだ暗い内に 朝の冷たい空気を感じながら明治神宮の参道の砂の「ザク、ザク」と響く音を聞くことにしている。
 初詣を済ませた後 家路への途中で氏神様に新年のご挨拶、この頃に日の出時間となり新年の明るい光がまだ静かな街路に射して来るのである。

 さて、年明けは正月の祝い膳(おせち)から始る。
それぞれの地方によって地方色豊な伝統がある、なかんずく差が出る のは「お雑煮」 ではないだろうか。
我が家のルーツは関西なので雑煮には里芋、大根、焼き豆腐そして焼いたモチを入れた  白味噌仕立てで、 この香りこそが新しい年の始りだと思って来た。
  でも、澄まし汁こそ・・・とおっしゃる方、味噌だけはごめんだと言われる事もある。が、お雑煮 については 美味いまずいの問題ではなく、だれもが それぞれのご家庭のものが一番と ご自慢であるらしい。

  その味を数えてみれば、きっとご家庭の数だけあるのだろう、そして、その味を 口にしてこそ 新しい年を実感できるのだろうと思う。

 家族、親戚、友人、皆で揃うことが出来るのも正月なればこそだ。
  故郷への行き帰りには交通混雑もあるだろうが、皆揃う元気な顔こそが一番のご馳走 なのかも知れない。

  さて 皆さまのご家庭のお雑煮を味わうことが出来ると嬉しいのだけれど・・・

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