ボンゴレ 朝、アサリの行商の掛け声が家の前を通り過ぎる記憶が残っている。さすがに大戦後のことゆえに
家の辺では天秤の振り分けと言うわけではなかったが、自転車の荷台に荷物をくくりつけて行商の
おじさんの「アサリ〜、しじみィ〜」と掛け声が聞えて来た。
浦安から来たと聞いていたけれど、東京23区でも西の外れの辺りの土地勘では小さな子供の頭に
そこはピンと来る場所ではなく、遠い所から遙々良く来るな・・・と言う感想があった位だった。
味噌汁用などに母親はこのおじさんからも買ったし、近くの魚屋さんでもアサリを買っていた。
アサリは塩水の入ったボールの中で 上手い具合に砂を吐いてくれるといいのだが、時折 味噌汁の
貝を食べると「ガリッ・・・」と残りの砂を噛んでしまうこともあって子供心に嫌いな部類の味噌汁だった。
後年になり ラジオの朗読の時間で山本周五郎作「青べか物語」が連続放送されたことがある。
「浦安(小説では浦粕)」の地名は物語に刺激されて俄に身近な地名となり興味をそそられた。
色々な人間模様を描いて好評だったこの小説はすぐにTV化や映画化されたのでもちろん劇場で
白黒画面に展開される物語を観賞したものだ。物語の舞台は昭和の初めの時代だったが、まだ
その頃でも画面に写る日本の片隅の姿は小生にも充分に想像できる時代だった。
東京オリンピックを境に高速道路の整備、東京湾岸の埋め立て・・・ディズニーランドの賑わいや、
広大な新興住宅地などが連なる湾岸自動車道をいま高速で走り抜けるとき、どうして「青ベカ物語」に
出てきた葦原や石灰、胡粉を造るための貝殻の山などを想像できるだろうか。
味噌汁、酒蒸し、佃煮などのアサリの美味しさに気が付いたのは会社勤めにも慣れて、夜毎の酒呑み
になってきた頃からだ。
社会人になり、高度成長期に過ごした激しかった勤め・・・振り返れば嬉しかったこと、出来なかった
ことなど色々の思いは残ってはいても・・・ともかく卒業した。
そして気が付けば身の回りに居た絵を描く趣味人たち、会社仲間で始めた展覧会は今年10回目を
迎える。同期の者、先輩後輩、当時の課長など、今では皆それぞれの画風で年に一度絵を持ち寄り
秋には展覧会を開く。「午前の会」、日が出て まだ間もない・・・会の歴史も10年を経た。
メンバーの
現役時代を知る展覧会の観客からは、今の姿がとても不思議に見えているようだ。
節目の10回目では、メンバーに加え可愛いヽ同僚OLが女優となり活躍中のOGも参加する。
10年前の初回に特別参加して以来なのだが、今回はどんな日本画を出展してくれるだろうか。
浦安を通る湾岸自動車道の先に成田国際空港がある。昨年はメンバーのうち小生を含む3人で
イタリアへぶらりスケッチ旅行に出かけた、小生の同期生は油絵、初代課長は水墨画で展覧会に出展
している。
イタリア到着の夕食から始まったイタ飯のテーブルのパスタには何回もボンゴレのプレートが並んだ、
小さな日本人の胃袋と色々の種類を試したいと言う欲張りでシェアするわれわれに、給仕のウエイター
たちはしばしば面食らっていたようだが・・・
今ではアサリ(ボンゴーラ)は大好物である、オリーブオイル・塩味系のパスタのボンゴレはサッパリとして口に良くあった。 |
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(2007)
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