赤ワイン

 想い出は昭和の前半に遡って始まる、先の大戦が終わったのが昭和時代の1/3だったが、それからしばらくして我が身には中学受験がやってきた
寒空の中を朝早く、乗り物酔いに弱い母親に代って長姉が受験申し込みに学校へ行ってくれた、受験番号は14番・・・倍率は5倍くらい、本人のテンションはあまり高くはなかったが、アッという間に試験日がやって来た

 一次試験は筆記、番号順に試験会場へ入り白紙の解答用紙を受け取って一列になった5卓の机の最後尾に座り机上の試験問題の解答を記入する、合図 があるとひとつ前の机へと進む、そして机は5卓だから5問の答案を手に試験机の列を離れて隣室の先生の前に提出すると、その場で簡単な口頭試問があった
その質問内容が何だったか全く覚えていないけれど、試験会場を出ればホッとして、この日は頑張って息子の試験会場まで付き添ってくれた母と一緒に帰宅した覚えがある

 一次試験の次は保護者同伴の二次の面接試験、これも受験番号順に面接会場へ順に入った、どんな面接内容だったか・・・ うろ覚えに面接会場から出てきた時に、陽の当たるバラック校舎の風景があるだけで定かではない
ともかく我が中学入試は終わった、合格発表日には以降の学校先輩になる大学生の知人が、大学隣接の中学校庭に張り出された合格者番号表 に14番があったと電話で知らせてくれ、もちろん家人も確認に行って手続き書類を受け取ってくれた

 新入の5クラスは2年生になるとクラス編成替えがあり 、そのままのメンバーで3年間の中学を卒業した
 入学当初から3年間同じクラスで過ごした仲間には後に歌舞伎の名優となった仲間もいる、学校恒例秋の運動会では3年生のクラス対抗の仮装行列 があって、我がクラスでは当時大人気だった黒澤明監督のモノクロながらシネマスコープ版の「七人の侍」の大迫力をアレンジした仮装を彼が監督してクラスを優勝へと導いた ものだった
卒業後は1学年18クラスの高校への進学で仲間は分散し、更に大学進学で学部に分かれて進んだのは昭和の後半に入った頃だった
 
 

   まだ仕事を頑張る仲間もいるが、多くは長年の仕事を終えた卒業生達の集まりになった
中学入学から数えて60年以上たった今、毎年担任の先生を囲む賑やか なクラス会が開けるのは、なにより各人の健康のお蔭だと思う、もちろんこれまで幹事連中がしっかりと名簿管理を続けてくれた功績も大きい
国文・民俗学者である恩師は「新たに天女について・・・研究を始めた、ともかく新発見もあって面白い!」と元気なところを見せ、 これまで研究成果の著書を何冊か頂いてきたが、いつまでもお元気でと願いたい
 
 残念ながら鬼籍に入ってしまった 何人かの仲間もいるが、昼の一時の流れを忘れ、元気に寄り集まり衰えない悪がき談義に花を咲かす多数の仲間達、ちなみにクラス の女性たちは欠けることなくマダマダ皆お元気だ
 先年の体調不良を克服して近頃は舞台に復帰したクラスメイト、舞台予定で参加できない がと…「中学時代が学生生活で一番印象深い」とメッセージと共に近著を届けてくれてた
 当日、仲間の一人からの60年記念の赤ワインがこの日の手土産になった、貼られた記念ラベルをデザインしたのは同じくクラスメイト、彼はいま小生と同じ美術団体に属し 愉快な作風の絵を描き、共に会務を担当して元気に活躍している、昔の先生と生徒たちをモチーフにしたという
 

 60年は長くもあり、そしてアッという間のようで もある、その間をそれぞれ別の広い世界で頑張ってきた、元気にこの日を迎えた尊敬すべき仲間たちを祝し、これからますますの健勝を祈りたい
 
 さて、赤ワインだがヴィンテージでは飲み頃になって来たそうだ、保存したらそれなりに・・・とは言っても「いま飲み頃だから、楽しんでください」と云う送り主の勧めに従って・・・いつ?栓を空けたものかと思案中だ

(2013)
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