うまい酒
 湘南を走る東海道線下り列車の乗客だった、とある駅でふと反対の上り線ホームの風景が目に入った
 ホームでは間もなく着くだろう列車を待つ人々のシルエット、背中を丸め、首を約30度くらい前に倒した姿、揃って片手が肩先まで上がっている、どう見ても健康には良い姿勢だとは思えない
 ズラリと並んだ人々のヨコ列は規則正しく、綺麗とも云えるがまるでSFの一場面を見ているようでもあった
    

 わが車内はボックス席では、伊豆方面に向うのであろう行楽のシルバー乗客たちが、楽しげな談笑する姿が主流を占めていて、通勤電車のように座席でも、立ち席でも8割の乗客が背中を丸めて首を前傾し、小さな画面の細かい文字や絵に向ってスマホを操る様子は少なかった
列車は不運にも先行列車の事故で2時間近く最寄駅で待機停車する羽目になってしまった、長い編成の中を歩いて探すと仲間が6名乗車していることが判った・・・もし事故停車が無ければ目的駅まで同じ列車の乗客だったことは判らなかったわけだ
 恩師の住まう温泉場で開かれるその日 昼からの中学クラス会へは遅刻必定となった、我がケイタイで事の次第を幹事に報告し、遅延を了承してもらえたのは文明の利器のお蔭だったと言う事は間違いない

 先年の同じクラス会で あるクラスメイト自身が愛飲している地酒を試してみろと、後日宅配便で自宅まで届けてくれたことがある、旨い酒のその一本を飲み終わってからネットで調べ、その蔵元からひとケース取り寄せたものだ、インターネット活用の便利な時代になったものだと思う

 遅刻しても参加できたクラス会ではあったが、その分急ぎ追いつくビール、酒の味がどうのと云うより元気な参加者たちとの会話に忙しかった、デジタルなどとは全く無縁だった数十年昔の中学生時代を思い出す昔日のアナログな話題で賑った
恩師へは万年筆を皆からの贈り物とした、米寿を迎えてもライフワークの研究に毎日精進されて、その成果の著作を続ける師には最適なはなむけだったと思う

 スマホでもPCでも、小さな画面から入ってくる情報の量が多くなり、便利さが格段に豊かなものになっている時代だけれど、背中を丸めて細かい字を見つめる・・・それほどに大切な情報って、みんなにあるんだろうか? 
近頃の定番となった高性能カメラを搭載したスマホて写真を撮影する光景、これは単なる記録の為だけでなく、後々の話題作りに大いに役立つ画期的技術だと思う
それを認めながら、絵を描く者としては自分に言い聞かせ、また時おり初心者に語りかける・・・「何百分の一秒のシャッターと違うのは、スケッチをすると数分間は対象に向かい合う時間があり、その間に小さくても頭の隅に情報が残り・・・それが成果につながり、想い出の厚みが増すのでは!」

 酒自体の味は勿論だけれど、誰と、どこで、どのような料理で話題を楽しんだか・・・美味い酒の一番である

(2014)
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