つけラーメン

 世界的な不況がわが国をも瞬時に覆い尽し、加えて新型インフルエンザまで次々に国境を越えて患者の数を増やし続けている。インフルは若者の間に拡がってはいるが高齢者層は罹患率が低いとか、もしかしたら数十年以前に流行ったインフルが忘れた頃のこの頃になって再登場したのかも知れない、そのうちに科学の進歩がその辺りの経路を解き明かしてゆくことだろう。

 目に見えないウイルスの仕業のインフルに較べれば経済不況の流行のほうはいかにも人災ともいえようが、1929年の米国発の世界大恐慌の教訓を思い出すまでもなく、十数年前のわが国に起こったバブル崩壊による金融不況と言う例に学ぶこと はなかった。元はと言えば際限のない人間の欲望が引き起こしたものだろう、コントロール は難しく、どんなに科学や経済学が進んだように見えても、人間の欲望の業は難易度を高くしてしまうようにも思える。

 健康や懐にかかわる大きな環境障害があっては、我が旅心にも些か変化が出るのは仕方がない・・・だからといって風景画家(?)たる者が取材旅行をサボることもまた我が沽券にかかわる・・・と個展を終え 、普段の落ち着いた日常に戻ってムズムズと心に覚える旅心を抑えがたく、近頃しばしば近郊を訪ね歩きから始めた。

 それはそれとして、勤め人であった頃の最終章では夕刻になればとある日本料理店のカウンターに腰掛け、気のあった仕事仲間との晩酌を10年ほども続けていただろうか。その店との付き合いは我が全国転勤の期間を挟んでその3倍くらいの期間の 馴染みだった。いつもカウンターに座れば旬のもの、折々のものなどの美味が黙ってテーブルに供され、最後に食事は「茶漬け」か「うどん」・・・「いる?」と聞かれるまでお任せと言う気ままを続けていた。

 料飲業界も全国的な低価格チェーン店の展開や若者達の食文化の変化、加えてバブルの崩壊が大きな変化をもたらしたようだ。もともと晩酌、料飲文化は教科書で勉強したり、学ぶというような話ではない・・・昔は先輩は後輩を夜になれば連れ歩き、仕事の話もするだろうが  遊びのしきたり、味について、好みの選別眼などを体得するチャンスが自然にあった。
 バブル崩壊期以降の近頃では先輩には後輩を連れ歩き料飲文化を伝えるまでには懐の余裕はなく、若者たちは多忙な日常勤務に疲れはて、反比例して嗜好の変化、さらには食生活では充足感からだろうか 、むしろ先輩達との機会を避けたがる傾向になって、勢い夕方の料飲文化は定型的で安価なチェーン店の風景になってしまったようだ。

 

 さて、くだんの板さんが勤めた日本料理店も情勢変化には逆らえず、彼が店を去ったのは10年ほど前のことだったが、その後近郊とは言っても些か遠くに店を構えた。 遥々と我が個展には何回か来展してくれていたが、小生が彼の開いた新しい城を訪ねることはなかった。 たまたま今回の取材のルートが店近くを通る、そこで思い立って昼時に訪ねることにした。

 元気な姿で夫婦揃って出迎えてくれた彼の店は田んぼのなかにポツンと建っている様な風景だった。ここで料理店の商売!?・・・と疑いたくなるようなロケーションだったけれど、目の前には  にこやかに元気な最近の状況を話す彼の姿があった。
昼食に立ち寄ったのだからと言うと・・・「ラーメン食べますか?、辛口でも良いですか?」と言う、いつものように彼に任せ、和室の座布団に寝そべる飼い猫とともに しばしの間 出来上がるまで待っていた。
 
   皿にのった麺、暖かい漬け汁には刻みねぎ、分厚い自家製チャーシュー、しなやかなシナチク、板さんらしい和風味の漬け汁に漬ける麺は しこしこして好ましく  美味だった。
 地方新聞社の発行する単行本「ラーメン食べ歩き」には既に三年続けて、また今年版にも載ると控えめに見せてくれたけれど、この店のロケーション、この時代にあって、よく頑張っ て来たんだと改めて感心を禁じえなかった。

 あの明るい笑顔と元気でこれからも頑張ってゆくことだろう、わが新しい旅の初めに良い思い出を拾ったものだ。

(2009)
想い出落書き帖のTOPへ戻る