たい焼き

 東京の下町には関東大震災にも太平洋戦争の戦災の炎からも免れた町が残っている。
それをもって縁起の良い街だと言う人も居るけれども、茅場町からも鎧橋を渡って少し歩 けば、 程なく下町情緒の残る日本橋人形町の街角に立つ事が出来る。
しかし今では折角残った町屋の連なる路地や商店街も、近代的なビルへの改築などで 次第に変わりつつあるのは仕方ないとしても、痛々しいのは地上げされ空き地のままに 残されたバブル期の後遺症ではないだろうか。

 さて、ここは水天宮や劇場、あるいは僅かに残っている伝統の料亭街、その辺りにご用 の粕漬けや牛肉などを扱う高級専門店もあって、何代も続いているだろう老舗も数多い。
そうした店々も一緒になって新しい時代に相応しい街起こしなども盛んな様である。

 だが、なんと云っても下町は庶民の街だから、大きな鳥なべ屋さんの隣には古くからの 洋食屋ん、 いつも人が列を作っている人形焼の角店〈安産祈願の水天宮詣でには格好 の土産である)、 そこからいくらも離れていないところのせんべい屋さん、裏通りにあるおでん屋さん (つい最近まで店では客に酒も出さず、夕食時には近所の人たちが持参の 鍋で家に持ち帰ったとか)。
さらには路地裏の天ぷら屋さん、屋台に等しいカウンターの向こうで主人の揚げる天ぷら は 美味しく、昼夜、近くのサラリーマンが席の空くのを外で待つほどである。
まだまだ庶民の味方が多くて漱石先生のお札の価値も充分に重たい。

 さて、土産には名物の「たい焼き」にしようと間口3.6m程の店先に立てば、焼き上がりを待つ人が店内に10人位は並んでるだろうか、並んで待つ間じっくりと職人の手さばきを見ていると、無造作にやっている様でもキッチリと鯛の尾の端にまであんこが行き渡っている。
 「店先で食べるのはご遠慮下さい」と張り紙にはあったけれども、焼き立てを食べると身に一杯詰まった熱いあんこで口の中をやけどしそうになってしまった。見過ごす様に小振りな店ながら庶民には伝説の有名店である。

     ・・・泳げたい焼きくん

 

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