鮨
ミュンヘンからドイツアルプスの急峻を越えるローカル線でオーストリアのインスブルックに入った。
特急列車ならミュンヘンから一旦ザルツブルグ方面に向かいローゼンハイムからイン川沿いの平坦路を走り2時間弱でインスブルックに到着する。
我々の乗るローカル各停列車は、地図の上ではほヾまっすぐに南下してドイツアルプスの谷を抜け目的地に向かうのだけれど所要時間は倍の3時間半はかかる。
朝ミュンヘン出発のローカル線車内は山登り支度のグループが多く占めていたようだ、ガルミッシュ・パルテンキルヘンに近づくと右車窓にツークシュピツェの茶色い山塊が青空バックにしてくっきりと眺められ、2年前に山頂に立ったドイツ一番の高山の思い出と共に雄姿を懐かしく眺めた。 |
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ここから列車は山懐を縫って走るがまだトンネルの数は少ない、いくつかの駅に停まり谷間の停車駅の雰囲気がクラシックに見え、駅名表示板のスタイルも違っているのに気が付いた・・・そこは国境を越えてオーストリア領初めての駅シャルニッツだった、やがて車内をオーストリア国鉄の車掌が回り、すでに済ませたドイツ国鉄の検札に続いて2回目の検札をしていった。
急に増えたトンネルの数、暗闇を抜けるとゆっくり走る列車の車窓にはチロル高原の清々しい風景が流れて行き、終着のインスブルック駅までチロルの谷を挟んで彼方には
頂に雪を残したオーストリア・アルプスのそびえる姿が雄大に迫ってきた、オーストリア領に入ってからは1時間の短い各駅停車の旅だった。
数日後、さらに南下してイタリアに向かう国際特急に乗る、このオーストリア国鉄車両はミュンヘンからベローナへ向うEC列車、ゆったりとしたコンパートメントの座席で車窓の渓谷風景を眺める、インスブルック駅からいきなり線路は山間に入り込む。ゆっくりと30分位も走ったろうか列車は山間の駅にしばらく止まっていた、ここがブレンナー、イタリア語ならブレンネロでイタリア領に入ったことになる。古から北ヨーロッパの人々が陽光あふれるイタリアにあこがれて
この峠を超えていった、ここがブレンナー峠かとの思いで車外を眺めていた。
再び動き出した車内を検札にやってきたのはイタリア国鉄の女性車掌、こちらが差し出すA4版プリントのバーコードを手持ちの端末で読み取ってにっこりと「有難う」、ペーパーはネット予約した際に我が家で印刷したチケットというわけだ、今回旅行では出発前に鉄道チケットのすべてをネットで予約
をしてきたけれど、早割やシニア割引、座席予約まであり、安心確実
だったので大いに得をした気分だった。
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ブレンナー峠(1375m)からイタリアの平地まではアディジェ川に沿って唯ひたすら下る線路が続く。沿線は目を見張るように岩塊がオード色の高い崖を作り、その裾に集落が、あるいは崖の上の集落が、延々と続くブドウ畑の向こうに眺められる、これ程のブドーを
作ってどうするのかと思う程。川はこれから向かうベローナを流れてやがてはアドリア海へと注ぐ、ブレンナー峠を出てからのEC特急の旅は3時間かかって定刻ベローナ駅に到着した。 |
暑い夏の陽射しが傾いたのを見計らって夕方の街歩きにでた。ベローナの旧市街の玄関ともいえるブラ広場が賑わっていた。見るとローマ時代のアリーナの横に舞台が造られて壇上には軍楽隊が金管楽器を光らせて控えている、客席にも威儀を正した観客が席を占めている、イタリア国旗色の襷をかけているのは市長さんかも知れない…などと眺めているうちに正装の楽長さんの指揮で演奏が始まった。
思わぬところでイタリア軍楽隊の演奏を聴けた訳だ、ベレー帽のイタリアの兵隊さん部隊が後ろ手を組んで休めの姿勢ではあったけれど、起立の姿勢で整列し演奏を聴いていた…これがどういう趣旨の演奏会だったかはイタリア語のできぬ悲しさ、聞き漏らした。 |
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夕食は道すがら見つけた「鮨」にした。旅行を始めてから2週間、思い出すこともなかった日本食だったが、ホテル近くで見つけたこの店に入ってみた。入口の感じより大きな店内は暗く、幾分日本の民芸品などを飾ってはあったが雰囲気はレストラン、結構客席は埋まっていた。
店員は見渡したところ全部アジア人だった…けれども全然日本語が通じない、…ともかくメニューにある日本メーカーのビールを注文した、すしも注文した…ここまでは何とか意思が通じたらしい・・・隣の席にはイタリア人家族が焼きそばをフォークで食べていた、箸は賑やかな会話の音頭取り
に使われていたかも知れない。
わがテーブルにも注文の品がやってきた、味わってみる…わるくない、新鮮だし、しゃりや酢加減も問題ない・・・腹具合にやさしい和食を味わった。中国系の人たちの店だったらしい、にぎり鮨もすっかり国際色になったものだ。肝心の味はこれまで度重ねたヨーロッパの旅で口にした寿司のうちでは、上の部だったろう。
その後の約1週間の旅ではオリーブ油、チーズ、パスタ、ピザを代表格に濃厚なイタリア料理が続いた。
そしてわが3週間の旅を終えて帰国後の初夕食は、行付け鮨店の大将の見事な包丁さばきでキマリだった。
(2010)
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