そば
 
 近頃 「最近はお蕎麦屋さんの出前が通らないね!?」 とカミさんと話していた
たしかにバイクの後ろに箱を積んだバイクさえ通り掛ることがあまり無くなった

 手軽な昼飯の代表格だった『そば』の出前姿はかつては見事だった、どうしたらあのように沢山のセイロやドンブリを重たい盆に載せて肩に担ぎ、自転車のペダルをこいで街の中を走ることが出来たのだろうか、さしづめ今なら保存無形民族遺産と云ったところだろうか
出前姿はモータバイクに替って荷台にスプリングでつるした箱を付け、角を曲がる際の車の傾きをカバーした工夫などはまさに日本文化 此処にありきだ

 この時の会話から近所の蕎麦屋さんを思い返し指折り数えてみると、店を閉じてしまった古い店もあるが駅前一番の老舗になった店など結構ある、だからと云って店まで出かけてその暖簾を潜るというでもない・・・昼食の麺は良くあるけれど、冷蔵庫からスーパーで仕込んできた生めんや、一人で留守番の折などはインスタント麺を材料に簡単に済ませてしまう

 街中の有名そば店ではさすがの味を味わうこともあるが、軽い昼食と云うにはちょっぴりその後のわが財布の軽くなり方が気にかかる・・・しかし旨さは!?、それを言ってはおしまいよ・・・・

 

 趣味にそば打ちをされる方も多い、友人の中にも何人かいるが きっとたまらない魅力も秘めているのだろう、相当長く続けている
 先日その一人が 「新そばが旨いよ、打つから食べに来い」と声を掛けてきた、下町で有名な名物料理屋の亭主の彼は中学時代のクラスメイトを招き、知り合いのパリ、ニューヨークやハワイなどでレストラン等を舞台に蕎麦を打って来たという、その舞台装置と腕前を店の特別室に用意して中学時代からのガキの前に披露した
そば打ちシーンは専門店やテレビで目にしてはいたが、打ちながらの説明はより細かな知識を勉強させてくれた

 その道具立てには素人には解らない贅沢がこもっているのだろう、大きな塗の鉢、固い何とか云う木を野球のバット職人が手作りしたものだとかの麺棒はしっかりと手に収まる、大きな麺切包丁はズシリと手応えはあるがバランス良く、抑え板との適当な角度が細い麺幅を切る・・・包丁の重さだけが麺を切って行くらしい
やがて、粉まぶしの見事に打ち上った麺を板に載せて出来上がりを仲間の前に披露した

 片や半数のクラスメイトは机に用意された肴をつつきながらの雑談に熱中、酒を酌み交わして騒いでいたが、やがて茹で上げられて盛られた小鉢の『おろし蕎麦』のヒヤッとしてピリッと辛い味わいに友人の熱意の新そばの香りを味わったのである、もちろん 粉を捏ね、鉢で纏めて麺棒で伸して行く一部始終を熱心に見学していた女性達がいたことも間違いない
蕎麦湯を飲んで出汁の良し悪しがはっきりとわかってくるが、それはさすがに本業の専門の域で申し分なかった

 そば打ちは結構 腰に負担をかけるとか、別の知人などそれを嘆いていたけれど、それでも後発の趣味人たちの 「指導に行くんだ」と嬉しそうに話しているのを聞いたことがある、わが個展の常連さんだ
 高齢化社会では何かと熱中できるのがあるのは良いことだと思う
個人的には趣味では勝負事などは必ず相手が必要なので例え相手がない時でも「一人完結」出来るものが良いと思ってはいる
しかし、歌は一人で歌えるがやはり聞いてもらいたい舞台では聴衆が必要、蕎麦も打てば味わってもらう客が必要、絵を描くことは一人完結で楽しめるが、描いた作品はやはり観て貰いたいのが本音・・・こんな訳で展覧会に参加するのだが、描く方も観る方も作品の中身は好みの問題、それより新しい知己やご近所さんを創り、新しい人の輪への参加もできる、人はやはり一人ぽっちでは楽しく生きられないのだろうと思う、そばに仲間がいる方が良い

(2013)
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