しいたけそば

  台風一過の快晴の朝、久し振りのドライブをと思い立ち富士山でも見に行く つもりでカミさんと共に家を出発した。
しかし東京の外れ多摩川の橋の上からそれは期待外れであるということが判り、 途中で折角ドライブに来たのだから箱根にでも行って昼食でもと相談はまとまり、 大井松田のインターチェンジを出て箱根へと車を向けたのである。

 やがて道は箱根湯本の町に入る、考えてみる と箱根に行こうと思いつくことなど いつの頃のことだったか忘れてしまったほどで、最近にはないことである。

 学校を出て社会人になった年の社員旅行はこの町に来たのを思い出していた、 配属された部は大きくて、百人を超す大きな団体を収容できる旅館は東京近辺でも 伊豆・箱根などに限られていたのである、その後も何度かこの近辺にはやってきた。

  社員旅行も高度成長期の真っ只中の頃には春、秋に催され、また、サラリーマンの 個人旅行がそれほど手軽でなかった時代だったから皆この旅行を大いに楽しみに していたもので、この機会に生まれたロマンス話などは、数十年を経た同窓会などで 昔の仲間と顔を合わせると今でも賑やかな話の種のひとつである。

  それはさておき、羊腸の坂道を登るドライブの間には箱根駅伝の選手の姿を思い浮かべて 「よくもマアこんな道を走り、登り続けられるね!!」と感心しつつ塔ノ沢、宮下、小湧園 を通り抜けて芦の湯へ、ここで東海道の最高地点の峠を過ぎれば道は下りに入る、 旧街道を走るのは本当に久し振り、いつも走りぬけるスカイラインや新道などとは一味 違った趣がある、 やがて関所脇を通過して箱根町の芦の湖畔に車を止めた 箱根駅伝ゴール、その裏側にはスタートと彫られた石柱の近くである。

 生憎の雲で富士山は隠れてはいたが芦ノ湖は周りの山々の緑を映して穏やかで、 何十年も前に何回か訪れたのを思い出し同じ場所に立った。人出が少なかったのは台風一過の昼だったからかも知れない。
 若いグループの一団がガイドブックと睨めっこしながら賑やかだった、到着した観光バスから一段と賑やかに降り立ったのは中国からの観光団体だった。まだ秋の観光シーズンには間があるが、昔に比べればお客さんのスタイルもずい分と 変わったのだと思った。
 

 いまでは自由な個人旅行も出来るようになり、社会の流れは社員旅行の意義にも 見直しがあって食事会などへ変わっていったのだから。
昔、湖畔には大人数が入れるような食堂休憩所があったような気がしたのだが、今は 小奇麗な喫茶店風のレストランが数軒目に付くだけだった 湖畔に近い一軒で窓際に席を取りメニューから選んだのは「しいたけそば」である。

 特に選んだ理由もないのだけれど少し甘めに煮込んだ椎茸が数個のせられている、 汁を啜り、そばを口に運び、その椎茸を噛めば昔懐かしい椎茸の香りが口に拡がった。
箱根と椎茸、特につながりがあるわけではないが何故か昔を懐かしむ「汁そば」だった。

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