シラスおろし 少しはましな絵を描ける様に・・・と、デッサンを習い始めた切っ掛けは庭に来ていた野良猫
「クロ」の姿を折込みチラシの裏紙にスケッチしてからだ。
まだクロの体に触れることなど及びもつかず、クロなりの安全圏からはこちらへは近づいても来ないままの遠目からのスケッチだった。
それでも我が家の庭の木陰が気に入ったのかクロはうずくまったり、寝そべったりで何とか一枚
絵を物にする時間くらいはジッとしてくれていたものだ。
その様なことがあって絵の基礎を学び、少しは上手に絵を描きたいものと絵の教室に行くこと
を思いつく、幸運なことに良い先生に恵まれてデッサンを勉強することになった。
教室はデッサンから始める日本画教室だったのでカリキュラムには日本画制作の時間もある、
しかし
それには参加せず、その時間は教室の片隅で鳥のはく製や静物などをデッサンして過ご
していた、先生は水彩画一筋を初めから認めて下さっていた。
2008年グループ展出展作 |
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夜の教室は仕事を持つ人達には好都合だったが、その頃から教室帰りに先生を囲んで教室の近くで一杯が始まった。何しろ若い女性が多かったので初めはビヤホールでほんの軽くだった。
先生は残念なことに数年前に急逝されたが、このメンバーのグループ展はそのとき既に十数回を数えていたが、その後も継続しこの一杯の会は今も相変わらず続いている。 |
そればかりか今では何かにつけて飲み会になる、春の花見や季節の一泊温泉旅行もあってカラオケ飲み会が賑やかである。男性メンバーも増えたけれど元気闊達な女性パワーに支え
られての経緯は覆うべくもない。キャリアー、バレリーナ、歌手、先生、専業主婦など職業も
雑多、話題も雑多、喧嘩もしょっちゅう・・・でも次回までにケロリと忘れているという次第。
飲み会風景は先ずこうだ、席に着けば誰外れることなく先ずビア・ジョッキ、書記がいて献立
注文をありあわせのメモ用紙に書き留める・・・3,4人に一皿だから一品はたいてい2皿以上に
なる。
皆がてんでに言うメニューは相当の種類になるけれど、料理をテーブルに並べ突き合う。
日本酒党優勢、人数割りの会計は不思議といつも同じくらいの金額になるようだ。
「シラスおろし」は突き出しで供されることもあるけれど素早く出てくるし、さっぱり味なので献立になることが多い、小さな猪口や小皿に盛られるからこれの注文は各人宛の皿数になる。
小生が育った東京では「しらす」、母親がいつも食卓に載せたのは「しらす干」であったと思う・・・
関西に勤務した頃に飲み屋では「じゃこ」、「ちりめんじゃこ」の名を聞いたように思う。
塩味に茹でただけの「しらす」はもちろん「しらす干」でさえ白い、それに較べて「じゃこ」は大きさも色々、色も少し黒ずんでいると感じていた。前者は主に関東、後者は関西圏だったらしいが
最近では「しらす」、「じゃこ」の間が曖昧になってきていると言う、関西食文化の全国化だなどと
言うつもりもないが、美味しい小魚たちには小生もいつもお世話になっている。
堅い「じゃこ」は湯通しをして柔らかくし大根おろしに乗せる・・・日本酒に良く合う、酢やカボス
でもさらに味が引き立つ。「ちりめん山椒」は温かいご飯にとてもよく似合う、京都三条の路地裏
の専門店で見付けたそれは旨かった、関西の親戚から送られる手造りのそれも上等品だ。
考えてみれば何十匹もの幼魚を一口に口にして美味しいなどとは・・・
教室では小生は既にOBの存在だが、個性あふれる仲間達には教室の新しい先生
が決り
既に何年か過ぎた、最近パーティで皆と先生も交えて飲み会を共にさせて頂いた。
新しい先生は
年若く、少し太い胴回りを揺らしながら、やっと皆さんの味が判って来た所だと笑い話をされていた。
次いで繰り込んだ当夜の二次会、テーブルには冷酒と肴には「シラスおろし」が並んでいた。
それから、夜遅くまで美術談義に花が咲き冷酒コップが重ね続けられたのはいうまでもない。
(2008)
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