志ば漬

 昨年桜の頃から始めた京都取材も終盤・冬の取材となった。
TVデータの天気情報とのにらめっこで、二月も中旬近くになって画面の雪だるまマークを頼りに早速出かけた。往路の新幹線窓外の関ヶ原では盛大な降雪と積雪風景 もあり、雪景色に期待を膨らませて京都駅へ降り立った。
 確かに黒雲が押し寄せる京都の空からはチラチラと、時には吹雪のように風花が舞っていた。
波のように繰り返す降り方に底冷えのする空気だったけれど、やがて次第に青空が優勢となって周囲の山々にも雪の気配すら残さない好天気に戻ってしまった。

 西山を朝日が眩しく照らす明くる朝、雪が無いなら冬景色の取材と覚悟を決めて向かったのは大原、この道を進むのは40年振りだったろうか、路線バスは山間を北に向かってゆっくりと進んだ。
峠には老舗の漬物屋、今では何処のデパートにもその品物は並ぶ・・・しば漬の有名店は店様を拡大して大きな工場に替っていた。やがて道は大原の里に入る、 遠景からは昔の記憶のままの里の風景が拡がっていた。
 厳冬の侯だから乗客に観光客もわずか、バス終点でウロウロしているうちに独りになってしまった。
三千院方向へと道標に導かれて坂道を登って行くが、小道沿いに建ち並ぶ土産物屋の招き声も冬枯れの季節ではなんとも遠慮がちに聞こえた。

 道脇の小さな流れには立札が 「呂川と律川」・・・大原の魚山は仏教音楽の天台声明の発祥地で、川はそれに因んで名付けられたと・・・、調子はずれを「呂律(ろれつ)が回らない」と云うのもこのことが語源になっている・・・と云う、カメラ片手に眺めて た小生に背後から声がかかった、「その坂道を上ると、景色が素晴しいですよ!」・・・と。
 振り向くと声の主は小道沿いの店からだったが、主を確かめるには少し距離があった、早速お勧めの脇道の急坂を上ると目の前が開け、そこにあったのは 『これぞ、大原の里!!』 と云える眺望だった。
辺りは田圃であり、畑地の真ん中だったがスケッチ場所を決めようと畦道を伝い歩き、画帳に鉛筆を走らせ冬景色をメモした、この風景はお勧めがなければ間違いなくお目に懸かれず仕舞だったろう。

 その時はすぐには道を戻らずに農道などを伝って大原で目当ての寺院、一番古い勝林院や厳寒で凍てついた三千院などの拝観のあと、折角の眺望場所を勧めてくれたあの店へ立寄れたのは帰り道になってからだった。

  道端の店のテント屋根下に並んでいたのは幾種類もの京漬物の樽だった。
店主に先程のご親切に礼を言い、旬の漬物をを尋ねると一つまみずつの試食を次々に小生の手の平に載せてくれる、どれも京の味で美味い、その中から幾品かを求めた。
 序でに これから先のスケッチ・ポイントも聞くと 「ならば、店で一休みして行かないか」 とのお誘い、寒いからこれは如何?…と一升瓶まで差し出されたほどだが、 それはご遠慮申し上げて暖かいお茶を頂き、マップを前にお勧めポイントを教えてもらった。
 お話を伺うところでは、季節には畑に花を植え、景観を求めて来るカメラマンにはポイントも教えるという自らもカメラ好きの店主だった。
 

店先の漬け樽

 さて、大きく天井も高くて明るい本店内には大原女を描いた大作で見事な日本画が架かっていた・・・尋ねると、ご主人は二十歳のころ展覧会で観た働く姿を描 いたこの作品を気に入り、ご本人のセリフを借りれば「なけなしをはたいて」 画家にお願いをして譲り受けたとのこと、その度量の広さもさることながら…その後のご主人はこの絵が似合う立派な店にしようと頑張って、四十歳になった時にこの店が出来上がったのだと話してくれた。
 お話を聞いて、絵がご主人の人生にどれほど大きな力になったのか、その清々しさには感激だった。

 自分の楽しみで描いている小生でも、絵の持つ力を教えてもらったようで、これからは幾等かでも人々のお役にたてる作品を描けたら…という強い思いも湧いてくる気分だった。
 もちろん、土産にした漬物、中でも温かいご飯に載せた赤紫蘇の薫り高い「志ば漬」が家では大好評だったことは言うまでもない。
 ご主人は漬物を以前は大都会でも販売をしていたこともあるけれど、地元に専念が良いとの評判もあって、今では地元・大原限定の販売に絞っているとのことだった。
(お店のホームページ)

 冬の取材は暖かいふれ合いがあって一足早い春がそこに見えたような気がしていた。

(2012)

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