さば、にしん、はも
    京都の夏は暑い。1000年の歴史の都といっても いにしえの人々は良くぞこの暑さを耐えいたものだと感心する。
その暑さの中から「コンチキチン」と祇園囃しが聞こえてくる。ウチワを片手に、浴衣姿でぶらりと夕涼みに出たいものだ。
ところでこの町、生産地は周辺にあり1000年の間すべて消費を続けて来た訳だから、さすが歴史の重みが加わって、ただお代を頂戴するような無粋はしない。

 如何に付加価値をつけるか、その工夫 苦心は並大抵なものではない。

 夏になれば河原に床を作って涼み客を誘う川床が加茂川にずらりと並ぶ。
自然の冷房装置といったところ、いまや、どこも若いカップルに占領されてしまって、その 下の本当の河原には若い二人連れがそれぞれに肩を寄せ合い、奇妙なことに等間隔で 腰を下ろしている。まるで電線にとまったスズメかムクドリに似た風景である。

  京都も北のほうへちょっと足を伸ばせば、貴船の辺りの川床はどうだろうか、谷川の上に 張った桟敷は下からの自然冷房装置を備えたようなものに工夫してある。

  京野菜や、鮎などといったものは兎も角として、いったい京都で産する食材はどれ程 あるのだろうか。にしんや、たら、さば、なかでも夏の京料理には欠かせない「はも」なんか 良くぞ京料理の役割を担えるものと思う。
うなぎの親戚筋にあたる「はも」は西日本が本場だが、悪食で歯も強く、小骨が多いので 丁寧に骨切をして供される。淡白な白身は、吸い物や、冷たくして梅肉などをつけたりして、 この暑さの中で旬を伝えてくれる。

  さば、にしん、はも、どの魚を取ってみても高級魚といわれる部類には属さないけれども、 工夫の付加価値は都の食を満たして歴史を重ねてきたようである。

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