ラーメン

 ヨーロッパ旅行をしていると無性に汁麺を食べたくなることがある、昼に軽く腹を治めておくのに良いし、食欲が落ちる暑さの中でも冷たい麺はサッパリするし、寒さの中で立ち上る湯気に向かって「フー、フー」と息を吹きかけながら啜る麺は体を温めてくれるじゃありませんか。
 ラーメンは中華そばの代表格だと考えていると、ヨーロッパの街ではNoodleと言えば焼きそばの類のようで、中華レストランのメニューに汁に泳ぐ麺を見つけるのは珍しい。
かつて遅めの昼食をと思って入ったイタリア・パドヴァの街の中華レストランでは、たまたま隣のテーブルで丼の麺を啜っているのを見つけて「アレを!!」と指差したが、メニューにないそれを食べていたのは店主のお婆さんだったそうで・・・・・それほどのご希望ではと、特別に我々用にも 造ってくれたものだ。

 近頃は日本全国にご当地ラーメンを謳うとても美味しいラーメンがある。日本橋のフランス料理店が店先のカウンターで始めた立ち食いラーメンにはわがサラリーマン時代にずいぶん通った、札幌ラーメンも一世を風靡 した・・・ラーメン・ブームの先駆者かも知れない、 さらに北の旭川にもスープを売り物に東京支店を出すほどの店もある。
今ではどれほど日本全国でご当地ラーメンが覇を競っているのだろうか、知りたいものだ!
博多のとんこつラーメンは食べはじめ少し香りに抵抗感があっても、直に味の虜になってしまうだろう・・・早く茹で上がるようにと麺は細く造られていたり、お替りの麺玉がドンブリに追加できるとは、さすがに忙しい魚市場生まれならではと納得する。

 わがラーメン事始めを振り返ると、大戦後に近くの角地に出来た屋台のような「のんき」という名の店からだ。
それまでの子供向けの駄菓子屋のような商いから転じて始めた商売だった、人の好い朝鮮系の店主がどこで仕事を習ったのか住宅地の中で店を改装開店した。小さな中華風のドンブリに焼き豚、シナ竹、ホウレンソウそしてピンクの渦巻き模様の鳴門が一切れ浮かんでいたはずだ、その頃は醤油味のラーメンが一般的、それからしばらく世の中のラーメンと言えばその…今では懐かしいあっさりしたものだったと思う。

  マダマダ小学生の頃の話だからたびたび店に行ったと言う訳ではなかったが、「のんき」は小さな商売ながら繁盛していた。おとなしい感じの嫁さんと一緒になり、子宝にも恵まれていつも 店は愛想がよかった、しかし不幸なことに店主が早逝し、やがて閉店してしまった。

 即席ラーメンの出現は画期的だったけれど、初めのうち特有の味わいに抵抗があって食べず、あまり口にしなかった間に実は進歩し続けていて、気が付けば種類も味も昔日とは格段のレベルを達成していてビックリ!、スーパーの商品ケースに並ぶそれも 、たかがインスタントとは言えなくなっていた。
 今ではヨーロッパの街のコンビニはもちろん鉄道駅のキオスクの棚にもカップ麺が並んでいる、お湯さえあればその種の汁麺を口にできるが、そのどれもが味はおろか具の種類、豪華さは「のんき」時代のそれを上回っている、航空会社によってはフライト中の小腹を治めるスナックに小さなカップ麺を用意してくれている。

 なんといっても日本人、熱い汁を「フー、フー」と息を吹きかけながら口にする幸せは、納得できる。

(2010)
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