親子丼

 松島を訪ねた、当日は雨になってしまったので島巡りの遊覧船には翌朝回しにした。夜来の強い雨は朝にはすっかり上がって絶好の遊覧日和となったのは幸いだった。遊覧船は400人も乗れるという大きなものでゆったりと大きなガラス窓越しの観光でも楽しめるだろうが、波も風もない青空なので船尾のデッキから景色を存分に楽しむことが出来る。出航まもなく船員の一人が船に追いすがるカモメ(ウミネコ)に餌付けをして見せた、乗客も早速売店で餌にするスナック菓子を求めそれぞれにカモメに餌を差し出しては賑やかな歓声があちらこちらに巻き起こっていた。

 数えてみると50年前に一度訪れている。「確か女船長さんだったか・・・愉快だった記憶だけが残っているョ」 と件の船員さんに話しかけると、「私の母か?、オバアチャンかも?知れません、二人とも観光船をやっていたから」 と思いがけない懐かしい返答が帰ってきた。
今回の旅を終えて帰宅後、古いアルバムを取り出して開いてみるとこんな記述が残っていた。
 

 上野駅を前夜に蒸気機関車に引かれる常磐線列車で出発し、あさ到着した仙台駅から仙石線の電車で松島海岸に到着したばかりだった。

 遊覧船の案内所でこう言われた 「お客さん方、うつの会社の女船長の船サ乗ってTVに出て下さるすか?」、当時珍しかった女船長さんの登場にTV取材が来ていたらしい。当の女船長の腕はまだまだで男の助手に怒られ通し、「アノネェー、右の方に”しか”(実は”かし”)と白く書いたお船がありますねえ、あれが海上自衛隊のお船なんです・・・」と、自称話しかけるように説明していたが・・・ 船も小さく身をかがめるようにして乗り込み船内のベンチに座ったものだ。シーズンオフでもありその日は静かで、かつ雨の旅行第一日、昼食は船着場近くの食堂で親子丼、これは良心的で旨かったと記してある、100円だったそうだ。
今回の旅行では昔と同じように船着場前の食堂に入りメニューは穴子丼にしたが1300円何がし、天ぷらの穴子は少し塩辛かったけれどボリュームたっぷりだった。

 昔の旅行話に戻る、新松島駅から乗った東北本線の混雑した気動車内で 「他に、オツル人はおらねえすか?」と声が掛かる、「オツルょ! オツルょ!」。

 その晩の泊りは決まっていなかった。花巻駅まで行った、ホームにあった観光案内所の所長さんは親切な方で貰った名刺には元何とか駅々長などの肩書きが9ツくらい印刷してあった。宿探しも積極的で早速目の前では電話の交渉をしてくれていた 「もすもす、こつらわねぇ、はなまきかんこうあんないじょ ですがねぇ、な が む ら さん とゆう おふたりさんがねぇ・・・」 と言う訳で隣町の遠野市の旅館が その夜の泊りとなった。

 遠野駅を降りてから道行く人に宿へ行く道を尋ねる 「あのーですネ、この道を100mばかり行った所に舗装道路がありますからねェ、あのーですね、そこんとこを左に50mばかり行きますとですね、左にあるす、遠野いつの旅館です、どんぞごゆっくり!」

 「今晩はおでえんすた、遠野はとってもいい町でがんす、花っこも咲くし、鳥っこもなぐす。それにえヽ馬っこ いっぺえいるすべ、こっこもいる。なんたら おめえさんだちも 一ばげて そはねで、もっととまておでんせえじゃ」・・・これは宿のおばあさんに頼んで 旅ノートに書いてもらった遠野方言です。   宿の客は東京からの時計屋、呉服屋など、四国からも来るそうで、月に一度と言う常連客が多いらしく、今日も満員である・・・と旅ノートに書いてある。
宿賃600円ではビックリするくらいの食事に、やぐらコタツに足を突っ込み友人と二人感激したものだった。

 東京発 仙台、青森、金沢、京都、鳥取、下関、大阪、串本、名古屋などを経由して 東京行きの本州一周切符は通用一ヶ月、三等の学割で 1,764円、半世紀も昔の旅行を思い出した。

(2009)

想い出落書き帖のTOPへ戻る