オリーブ

  南ヨーロッパを旅するとオリーブ畑が延々と続く光景にびっくりする。
マドリッドからスペイン新幹線で南に向かうとすごいスピードで走る列車の窓外はオリーブ の畑が何十分間も続いて流れて見える。 オリーブ園にはゆったりとした間隔でオリーブの 木が整然と並び、枝には色の浅い緑、銀色の葉が茂っている。
オリーブの実は塩漬けなどで食べるけれど、その殆どは食用油を絞るために使わ れるのだ と思う。
それほどたくさんの油をどうする?・・・と思えるほどなのだが・・・

   ノアの箱舟ではハトのくわえて来たオリーブの小枝を見て大洪水の過ぎ去ったのを知り、 国連旗には平和の象徴としてその葉がデザインされている。
南フランスのアビニョン近くにある世界遺産、ローマ時代の水道橋である ポン・デュ・ガールでは 園地にスペインから移植された樹齢1000年のオリーブの古木がある、とても元気に枝 葉を伸ばしていた。
遺跡の水道橋は2000年前の建造物だけれど その見事さに並んで記憶している。

  初めて オリーブの木を見たのは中学校の修学旅行で訪れた小豆島だった。東京から夜行 列車で岡山へ、市内の後楽園や倉敷で美術館なども見学し二泊目は鷲羽山、ホテルからは 小さな島が点々と散らばる瀬戸内海の眺めが見事に一望できた。
翌日は下津井港から坂出に渡り丸亀城の天守あとの石垣に登って記念撮影をしたことを覚え ている。
  もちろん 金毘羅さんでは沢山の石段を上り、高松では栗林公園を見学、屋島からはその頃 残っていた塩田が拡がる入江も眺めることができた。その夜、三泊目は小豆島、海岸の旅館 は瀬戸内の漣が芝生の庭の向こうにヒタヒタと寄せる明るい景色の中にあった。

 丁度 その年には小豆島が舞台の木下恵介監督の名作・壺井 栄「二十四の瞳」が大評判 だった。当然みんな観ていたが、十二人の子供達と大石先生(高峰秀子)の印象は強かった。
映画に登場したバスも同じ名だった「島バス」、
その観光バスのバスガイドは説明の合間に 当時発表された歌謡曲「オリーブの歌」(二葉 あき子)の歌唱指導を繰り返ししてくれた。
  オリーブの木は 温暖な小豆島だからこそ見ることができるという程わが国では珍しい植物 だっが、 オリーブの木はなんとも頼りなげな細い幹に小さな薄い緑の葉をつけていた。

 明るい瀬戸内の光と小豆島の景色は映画の印象の通りだった、醤油工場も映画の通りに 黒い板壁に囲まれていたように思う。工場見学をさせてもらったと思うが、土産にもらった 醤油のサンプル瓶は可愛らしく小さかった気がする。
小豆島からは夜行の汽船で四泊目、大阪港に向かい翌朝の大阪駅発の列車で帰京した。 東京まで特急でも8時間はかかり、途中では蒸気機関車が列車を引っ張っていた頃の話だ。

 南欧ではマーケットの店先に緑、黄、茶、黒色など色とりどりのオリーブの実がある光景 などは珍しくも無いが、先日のイタリア旅行では市場でEXTRAヴァージン・オリーブ・オイルを 一瓶買ってきた。大きなビンだったので少し重かったけれど帰国後、我が家のパスタに使い チョッピリ味が好くなった気もする。
  もう半世紀以上も昔の中学校の修学旅行、今は身近になったオリーブだけれど今は昔の 想い出の中に その時の歌は今でもはっきりと頭の中に残っていて思い出すことができる。

 (文中の「オリーブの歌」をクリックすると小豆島のサイトで歌を聞くことができます。)

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