我が家の生垣は「ベニカナメモチ」である 。通称「赤芽」 の春の芽吹き、真っ赤な新芽を 楽しみにしてきた。赤芽は元来とても強い木で、害虫も付かず季節には刈り込みを丁寧に してやれば小枝はますます密になって翌年春にはまた沢山の赤い新芽を吹くのである。
それでこの木を生垣に植える家が多くてとても馴染み深い植木だ、現に我が家の近所 でも多い。
 だが、その新芽の赤の色目についてはその木の個性なのだろうか千差万別である。

 ここ10年ほどの間に丈夫なはずのこの木を冒すウイルスが流行り、新芽が出揃う頃に葉に黒い斑点が出来て、やがて病葉は落葉にまで及ぶのである。近所の赤芽の垣根も次々に病気になり 、この病気について植物園や区の植物の専門家に聞いても取り立てて対処の仕様もなく、薬剤による消毒をしてもさほど効果的とも思えない、ただ決定的な枯死までは至らないと言うのが救いと言えるかも知れない 。  

 我が家の生垣の赤芽はやがて60年近くになる、刈込がとても効果的なので春秋刈り 込み、それも楽しみにしていた。

 昔は庭があるどの家でも出入りの植木職人がいて、何かと言えばいろいろと面倒を 見てくれていたものだ。赤芽の垣を作った我が家の「植木屋さん」は少し遠方の川崎の登戸辺りから 来ていた。  新しい垣根は台風で倒れた竹垣の代わりに赤芽の生垣を仕立てることになったのである、 コンクリートの土留めの上には富士山の火山岩などを飾り赤芽垣根は造られた。

 どの家でも「植木屋さん」とは親しい間柄だった当時の話である。
夏の盛りに植木屋さんの自宅に御呼ばれをしたことがある、その住いは多摩川の川原に 近く。川遊びをした、たしか屋形船のお店での「うな丼」がお昼だった。「鰻が美味しいよ ご馳走する・・・」
と言って自宅に誘ってくれたのだから。

 その辺りの川崎は梨の「長十郎」の産地だった、茶色の皮に小さなぼつぼつが一面に あって果肉の舌触りはザラッとしていたが、甘味の強い梨だった。植木屋さんの家は梨畑に 囲まれていたし、ちょうど季節だったから井戸で冷えた梨を食べたはずだ。
 さて今では老木となった我が家の生垣の「
ベニカナメモチ」は病気にかかってから小生の 施した数々の消毒や施肥が気に入らなかったのか、残念ながら昨年来ついに半数が枯死 してしまった。
  この頃では植木職人も少なくなったのたが、幸いにも我が家では木を可愛がってくれる 植木屋さんに恵まれている、そこで彼の手を借りて生垣の改造にかかろうと言うのである。

 この病気が近所の垣根を冒し始めた頃から、我が家では春の刈り込みくずの中の小枝を 挿し木して10数本育ていた、育ったその子供の赤芽を植栽しようということにした。
夏の暑い日の午前、いまの植木屋さんと相談しながらこの垣根の生涯を思った。旨く行けば 生き残った半数と、その子孫が再び春先の真っ赤な風景を作ってくれると期待をしながら・・・

 今の植木屋さんは近くに住んでいる人であり、今つつく梨は「幸水」だか「豊水」だか舌触りも ずっと滑らかな甘い品種に変わってしまった。
 夏の暑さも60年前とは違って来ているように思える、地球温暖化や都市化がこの「赤芽」 の病気の源でなければ良いのだけれど・・・

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