麦きり

 その朝、低い雲が垂れ込めてはいたが既に夜来の強い雨は収まっているようだった。山形県の新庄市のホテルから最上川下り遊覧船の乗船地へはそれほど離れてはいない、朝早いので大きな駐車場はガランとして事務所やみやげ物店などもまだヒッソリとしている。

 小高い川岸の上から眺める最上川はこのところ数日の降雨のために茶色く濁り、流れは速い、数隻の遊覧船では船頭たちが始業準備に忙しく立ち働いていた。行く先の川下 の風景ではまるで墨絵のようで美しい、しばらくの間スケッチしていたが、変わらないこの空模様に乗船はあきらめることに決め川の左岸に沿う国道をドライブすることにした。
 ところが車を出して数分後、川岸に沿う道のいくつかの曲がり角を過ぎると突然100m先も見えない篠つくような雨がやって来て、これでは遊覧船の透明なビニールシートの屋根の下では風景もゆっくりと楽しむドコロではなかったろうな・・・と変な納得をしながら車をゆっくり走らせた。
遊覧船の終点近くの一番の名所・白糸の滝では向かいの川岸の駐車場に車を止め、しばらく雨をやり過ごしたあとにゆっくりとスケッチすることが出来た。

 最上川沿いの国道を分岐して左折すれば修験道の羽黒山へ向かう道になる、行く手の山々の中腹には雨上がりの綿のような白い雲がまとわりつき、育ち盛りの稲田の若緑ともよくマッチした美しい風景の中を進んだ。 有料登山道路を登れば程なくそこが羽黒山頂である、時折雲間から漏れる光が大きな駐車場を照らしていたが観光バスが数台のほか訪れた車両の数はまばらだった。

 その日は日食の日、時間もちょうど良い、間も無く月で欠けた太陽を見れるのかも知れぬと待っていた。観測用のめがねなどの用意はしていなかったので直接空を見上げることは出来なかったけれど、また 上空は速い速度で雲が流れてとても観測できる状態には見えなかった。

 しかし霧のような雲が時折適当な厚さになった時にパッと太陽の欠けた姿が見える瞬間があった。結局はるか太平洋の硫黄島や客船から中継される綺麗なコロナや見事なダイアモンドリングの輝きを羽黒山頂で 愛車のテレビ画面から観賞させて頂いた。
 その時、山頂の高い杉の木立は霧に包まれて心なしか薄暗く、静寂に包まれた不思議な景色だった。

  さて出羽三山神社にお参りを済ませ駐車場脇のレストランへ行くと、ちょうど大型バスの観光客が入ったところで座席が一杯だからと向かいのみやげ物店方向をしめされた、遠目には観光みやげ店が四店並んでいた、右から二軒目の店先からおばさんの「今の時期だけの、麦きりはどうですか!」と声が掛かった、「麦きり!?・・・それ、いきましょう」 と言う訳でみやげ店奥のテーブルに座った。

 隣りのテーブルでは年寄りが三人ビールを楽しみながら大声で話している、マルっきりの方言で・・・やヽ後、先客の彼等が店を出たあと店のおばさんその賑やかさを謝ったあと「地元の人達だけど、お客さんなのですみません・・・」と言い訳、更には来店客は 駐車場からまっすぐのこの店にどうしても寄らず斜めに歩いて端の店へという歩く傾向があるのだ、うちは損をしている! つまりそれだから店先で呼び込みをするしかないなどと言い、そして先ほどの先客の会話、この地方の方言について色々と実演してくれた。聞き手は店内に残った小生と奥のテーブルを占めていた福島県会津からと言う三人の男性・・・福島県だって方言が強いと思うけれど・・・、このあたり羽黒、鶴岡など隣町同士でも話し言葉の語尾が違うという、も少し離れた酒田ではこんな風に云う・・・と庄内地方の方言の違いを実演してくれたが、それをここに再現できないのが残念なくらい、聞き手の四人の客は腹を抱えて笑った。

 「ざるうどん」のような「麦きり」がテーブルに運ばれてきた。暑いこの時期だから冷たいうどんなのかと問うと、庄内では「そば」よりも「うどん」の方が好まれるとか、 今の時期 店では乾麺ではない「生のうどん」を取り寄せて出しているのですと言う説明、竹ざるに敷いた笹の葉に載せてうどんは涼しげである、おろししょうがと刻みねぎをタレに加えて口に運んだ 、麦きりはとても腰の強い好ましい舌触りだった。
 麦きりはここ羽黒山だけの名物と言うわけではなく、庄内地方ではその名を染め抜いたのぼりが街には沢山あるはず よ・・・というこの辺りの名物だそうだ。

(2009)

 

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