普通の水

 地震は嫌いである。子供の頃から大嫌いだったから、グラグラと来れば逃げ腰に なったのだろう。
  母親は地震で逃げるときには上から瓦が落ちてくるから「頭の上に気を付けて」 逃げなければ・・・が口癖のようで、そう教えられていた。
遠い昔の思い出だが阪神大震災は不幸にしてそれが実証されていた。

 「もう、忘れたんですか?」と駅に張った防災の日ポスターが阪神地震の写真で 訴えている。
いくらなんでも、忘れた頃にやってくる災害も、これではちと早すぎる というものだろう。
 

 ところがある日、わがゴルフコースのティーグラウンド脇のベンチに腰掛けていた ところ、にわかに地鳴りとおぼしき轟音が鳴り響き、ベンチがグラグラと揺れた。
近くの売店のガラス窓もビリビリと震えていた。20秒か30秒位のものだったろうか 皆が顔を見合すような地鳴りを感じた。
セミの声だけが聞こえる中で地の底からの音、大震災はこんなものではなかろうか それを想像するに足る経験をした。
場所は震源地にたびたび名前の出る、茨城県南部、筑波山麓である。

  最近我が家では水のペットボトルが回転している。先入れ先出し方式で古い ボトルの中身を消化しつつ、新しいボトルを補充する方式で鮮度を保っている。
いつ来るかわからないが、いずれ来るとすれば水の確保がまず第一と考えての ことである。防災対策としてはささやか過ぎるかもしれない。

  ささやかといえば、目黒区のはずれの我が家の庭には井戸がある。
この近所での井戸はもうこれしかないかも知れない。盛夏にはモーターポンプの 水が庭の芝生をスプリンクラーで潤している。
しかし、地震となったら当然のこととして電気も来ないだろうからと、手押しポンプも 残してある。先日ポンプの修繕をしようとポンプやさんを探したが、電話帳で探して 遠方から来てもらう始末だったけれども、いざと言う時にご近所のためにも役立つ かも知れないと・・・

  いや、忘れた頃にも来て欲しくないが。

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