牛乳
前の晩、長旅の疲れを癒してくれたのは白い牛乳風呂のもてなしだった
。朝の牛舎では
先ほど生まれたばかりだと言う子牛が、優しく励ます母牛や周りを取り囲み固唾を飲んで
見つめる我々の目の前で、懸命に力を振り絞り生まれて初めて立ち上がる、ほんとうに
感激的な瞬間にも立ち会った。
立ち上がった子牛はとても頼りなげでグラグラと揺れている
ように見え、それを見ていた隣の柵にいた兄貴分の子牛が仕切りの柵の間から首を伸ばし、
何かを教えているかのようなしぐさを見せ、「よくやった」とでも言っているようだった。
朝の食卓には牛乳の1カップがあった 搾りたての牛乳は均質化
(homogenize)してから
飲むのが安全だそうで、その工程を経た牛乳はヤカンからガラス
コップにつがれ、その
真っ白い牛乳はとても美味しかった。考えてみれば先ほど見たような子牛が成長するには
このミルクが育ててくれるわけで、人間どもはそれを横取りしているような
ものだろう・。
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とは言いながら 小生も生まれてこの方、白い牛乳にはずい分お世話になってきた。
昔の街の音風物詩、早朝の音には荷台の箱の中で牛乳瓶がガチャガチャとぶつかり合う
、牛乳配達の自転車の音があった。
子供の頃からお世話になっている牛乳屋さんは昔と同じ場所で今でも営業を
続けているけれど、昔のようには賑やかに朝の音を響かせるようなことはない、軽自動車に
荷物を積んで走っている。
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小さい時分から家では母親が毎朝必ず牛乳を飲ましてくれていた、朝早く牛乳配達が門の
脇に造りつけられ、メーカー名を印した黄色い牛乳箱に1合瓶を置いてゆく、代わりに
前日配達で飲まれて空になったガラス瓶を回収してゆく仕組みである。
朝の食卓では瓶の紙栓を指先でつまんだり、錐のような道具で引っ掛けて開け牛乳を飲んだ。
たまには牛乳を暖めて飲んだこともあったけれど、欠かすことなく毎日々々何十年も牛乳は我が家の
朝食のテーブルに並んできた。
今では我が家には毎日配達の牛乳瓶はなく冷蔵庫の中に牛乳パックが何本か入っている、
朝食ではガラスコップへ移した牛乳がテーブルに並ぶ。
育ち盛りと言われた少年期には食パンにバターをタップリ塗って食べるのが好物であったし、近頃ではワインや洋酒の晩酌にはいろいろなチーズが肴になる、みな乳製品だけれどケーキ
や菓子類など食品原料に使われる牛乳だってバカにならない量だろうから、小生が生まれ
育ち今日までに口にした牛乳の量を考えてみると、いったい何頭位の子牛を育て上げられる
ものだったのだろうかと不思議な気がしてしまう。
これまで健康に育ち、今でもつつがない毎日を過ごせる一因には牛達のお陰もあったと
思っても間違いはなかろうと思う・・・「牛さん、本当に有難う」
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