みかん

 食事時は丸いチャブ台の足を立て家族はぐるりと周りを囲んで座った、飼い猫でさえ あたかも その輪の中に自分の決められた場所がそこであるかのごとく ちょこんと座って 食卓を眺めており、皆の食事が終わって自分の食事の順番がやってくるのを待っていた。

 冬はコタツも作られたけれど、食事の終わったチャブ台が足をたたまれて仕舞われた後に あったのは丸く大きな火鉢であった。
冬の朝、母親が起きて先ずする仕事はガスコンロに火起しを載せ炭火をおこす事だった、 赤くおきた炭は時折パチパチと音を立ててはぜたが、火鉢やコタツの中の灰の上に種火 の炭を置き、その上に大きな炭を組み上げるのは流石に母親は上手かった。

 食後の果物はみかんだった。紀州や静岡、瀬戸内からのもの、皆は火鉢に手をかざし ながら丁寧に皮をむき中袋の筋を丁寧に取ったが、ときおり 筋は炭火の上に落ちてこげて香ばしい香りを立ち昇らせたものである。

 みかんも出始めの頃、緑と黄色が混ざった皮は何ともいえない未熟さと、とても新鮮な 若い味を感じさせてくれたが、師走の頃になると黄色い皮の艶も、味も程よいものになって くる。

 正月を迎える頃には木箱のみかん箱が冷たい裏部屋に運び込まれた 。
畳の上では 双六やカルタ、表では羽根つきをする音も聞こえたし、正月の北風は凧揚げに丁度良く、ただ耳が千切れるほどに冷たかった。
  遊び疲れたその後に皆の前には篭や、盆に一杯の みかんの山が出されたが、遊びつかれたそんな時の みかんの味は格別に美味しかった。
 

 近頃でもこの季節にはダンボールのみかん箱が我が家にもあるし、みかんの種類にも 沢山あって地球の向こうなどから、西からも東からも名前を覚えきらない位に沢山の柑橘類がやって来て年中 テーブルの上を世界中からやって来た柑橘達が賑わしてくれている。
  家の中も暖かい、地球温暖化とまでは云わないが朝起きればただスイッチポンで暖房が始動して、 火鉢や コタツなど家の中に影も形もない、みかんの筋を燃やす匂いなど特別に火でもつけてみないと
思い出せなくなってしまった。

 やっぱり、正月を終わった頃になると みかんの味はひねた味になってしまうのは昔も今も、 少しも変わらないのだが・・・

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