黒ねじ

  車を運転しての長い一人旅では列車の旅などのように隣り合った同士のよもやま話などの機会もない、ひたすらハンドルを握り前を見つめているような味気のない旅だろうと思うと、それがそうでもない。
もちろん運転中ならば運転に集中しているし、眠気よけにガムを噛んだり、ラジオやCDの音楽を流し続けるのだけれど、車を降りれば回りには色々と起こってくる。

  スケッチブック片手にブラブラしていると「あちらの景色はお奨めですよと」とガイドばりの道案内をして下さる愛犬散歩中の奥さん、古道の峠で「昔の景色はこうだったのに、変わってしまって・・・」と昔 を想い語る老夫婦、どれもが持参のガイドブックにはない新鮮で有益な情報で楽しい。

    小生のスケッチは左手でスケッチブックを抱えながら立ち姿で鉛筆を走らせるのだけれど、最近の国内旅行ではそんなスケッチブックを覗き込み、声をかけて下さるのは外国人旅行者の方が多い。
金沢の東の茶屋では南アメリカ・ベネズエラのカラカスから来たと話しかけられた、スペイン語だった。
  武家屋敷の辺りではヨーロッパの団体ツアーに周りを取り囲まれる状態になった、別の場所に移動すると再び同じ団体と巡り合い、「ここは綺麗だ、ここも描くのか?」などという。

  それから二日後のこと福井県の吉崎を訪ねた、ここには吉崎御坊と云う浄土真宗の大きな堂宇がそびえ立つ、蓮如上人ゆかりの地である。我が旅路は芭蕉翁の 「おくの細道」の足跡を辿る道である、本文に吉崎の名前はあっても芭蕉翁が拝観したとは記されないが折角のこと拝観をさせて頂いた。

 さて、間もなく正午と言う時分、門前の売店併設のそばカウンターの暖簾をくぐった。カウンターの向こうで亭主がスポーツ紙を読んでいた。「ちょうど昼だから」と小生、「全国的に昼です」が亭主・・・ざるそばを注文、それから「お一人ですか?」から始まりこの地の話などの雑談、そのうち小生が芭蕉翁の道を辿っているという話題に移った辺りから亭主の質問攻めが始まった、「芭蕉がここへ来たのは本当か?」、「長い旅の道筋はどうだったか?」など、話ははずみ持ち合わせの絵を見せながら話は続いた。

 ざるそばが出来上がり、そば猪口はサービスなのかあるいは話に夢中で手元が狂ったのか「そばつゆ」がなみなみと注がれている、晒しねぎを加えても汁が猪口から溢れ出しそう、そばをつけても汁が溢れ出さないように気をつけながら・・・・片や次々の質問、話題に応じながら・・・味がどんなだったかを気にする糸間もなく賑やかな会話の昼飯がすんだ。
 あまりに愉快な亭主だったので出発前にお礼に持参の小生作絵はがきを呈上すると、「これはただで頂く訳には行かない、何にしよう」と言いながら売店の店先を見回し一袋を「・・・説明はあるんだけれど、長くなるから」とレジ袋に入れて、「道中、食べて」・・・と手渡してくれた。

   「黒ねじ」はこうした経緯で我が口に入ったのである。
チョッと平たい「かりんとう」といった見かけ、カリッとした舌触りかと思うと、ねっとりとした感じの不思議な歯ざわり、味は黒糖、噛めばザラッとした「きな粉味」・・・確かに亭主の言うようにいわれの説明があったら良かったかも知れない。
 あとからネットで調べるとお米のポン菓子、きな粉、黒糖、水飴などから出来ているとのこと、「ねじ」はねじれたその姿から付けられたのか、後引きな味わいを亭主の話題に重ねて楽しませてもらった。
 

 吉崎への目的は芦原ゴルフ場にある遺跡訪問の為だった、ガイドブックに「ゴルフ場の前庭にある 、見学するにはゴルフ場には断らなければならないだろう」と書いてあった。プレーをしないで昼日中ゴルフ場に入るのは奇妙な感じがする、ゲストカウンターの応対はごく親切だった。ゴルフ場の男性に案内されてクラブハウスを通り抜け、 スタートのティーグラウンドと9番グリーンの間を抜けてずんずん進んでゆく、9番コースの中ほど、海岸崖との間の林に「汐越しの松」は横たわっていた。いまは枯れてねじれた太い幹 だけを横たえてはいるが、300年の昔を忍ばせながら大事に保存されているようだった。別れ際に案内の男性と名刺の交換をしたがマネージャーさん直々にご案内して頂いたのだった。
 振り返れば30年ほど昔に一度だけこのコースでプレーさせて貰った事がある、その折には不学で汐越の松も黒ねじも知らなかった。

(2009)

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