栗の季節

  名古屋の北、やがて庄内川も近い街外れの料亭である。
もとは旅館だったそうだが、そこの長女が弟達のお嫁さん二人と始めた、つまり三人姉妹がもてなしの看板をつとめる店だった。
 聞けば座敷は近年三河の山奥から移築した古い庄屋の建物だそうで、 入口のたたきから、炉の切られた部屋や客間など、いくつもの煙に くすんだ小部屋が入り組んでいる。

  季節を大切にしているのは茶の道をたしなむ(もっとも尾張は昔から 茶道のたしなみが深い人々が多いが・・・)女将の心使いである。
各部屋にはきちんと生け花が季節を告げているし、たとえて言うと、 雛祭りの時期には上りカマチにはそれこそ文化財級のお雛様をずらりと 並べて来客を迎える。
 
 また、正調の尾張訛りを話す年寄りがいて、ゆったりと、そして雅にさえ 聞こえるその言葉に、改めて感心したことを覚えている。
何でもNHKにも本当の名古屋言葉を紹介しに出演したことがあったと聞く。 もちろん料理は逸品だが、これからの季節にはきっと大きな栗の渋皮付き の甘煮が出されることだろうと思う。
栗の風味を生かし渋さを殺した栗が一つ、皿の上にポツンと載って囲炉裏端の 卓に乗せられるのである。

  やはり名古屋で国鉄がJRとなって暫くの秋の頃のことだった、新幹線 ホームではJR職員が木曾名物の栗を売っていた。
鉄道民営化したあの頃は各地でそのような商売挑戦が始まっていたが、網袋の 一袋を買って帰ったが栗は実に上等で味も良く、ずいぶんと得をしたように 思った。

    栗は美味い、好物である、だがすぐに虫が付のでよい顔つきの栗だと思い固い皮を剥き口にすると、虫食いの何とも言われぬ不味さが口の中に広がってしまう。

 栗の実は針一杯の衣から 、秋になれば美しく艶のある実になって飛び 出して来る。
茹でても、煮ても、また焼いても美味しいが、外見からだけでは中身が 分らないことが多い。

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