熊、ゆきのした

 もうだいぶ前の事になる、豪雪の年だった。石川県の白山の麓は名だたる豪雪地帯 だから筆者には物珍しく、ただ物凄いものだと感嘆しか出来なかった。
 節分を過ぎれば立春、暦は春になるがその節分の夜は春がすぐそこだなどと とても信じられない、雪に覆い尽くされた光景が目前にあった

 尾口村東二口(ヒガシフタクチ)と言う小さな部落は手取川ダムが眼下に拡がる山の 斜面にへばりつく様にある。当時お付き合いを頂いていた地元銀行のエライさんから 「国の無形文化財」 を見せようとお誘いを頂いた。そして同行の数人の集団が到着した ここがその小さな部落なのだ。
  それでも部落の中心部には立派な専用の会館が建てられており、当夜は結構外来の 客で賑い、雪に埋もれた村の古くからある社交の場だったのだろう。

  まず村長さんを訪ねてそのお宅にあがる、いや実際は下がる・・・と言う のも積雪が多いために玄関へは雪の階段を下がるのだ。
  既に旧家の大広間では先客多数が宴を開いていた。家人が接待する 料理は まさに山村ならではのものばかり、料理も盛り付ける器も華美に は程遠いかも知れないが、それぞれ山の珍味が数多い。
山菜は前の年の春夏に採っておいた物を塩漬けにしそれを戻したものだとか、 ごま 味噌合え、天ぷらなどなどである。

 嬉しいことに先代の老婦人が自らこしらえたお料理の一つ一つを丁寧に説明して 下さったのが、 その方言と品数の多さに今では記憶も僅かになってしまった。
「ユキノシタ」 それがどう調理されて いたか忘れてしまったが、老婦人が説明をして くれたその音色だけが耳に残っている、 熊の刺身も美味しかった、チョットだけ頂いた。

 さて、いよいよ会館で演じられる出し物は 「文弥人形」と言われる文楽人形の最も 原始的な姿を残したもので、もちろん文楽や鳴門のそれらのように手や頭が動くもの などではなく、言って見れば棒を十字に組み、頭を乗せて着物を着せたような物である。
  それを両の手で掲げた演者が三味線の メロディに合わせて独特のリズムで勇壮に足を 踏み鳴らしながら踊る、その浄瑠璃の拍子は今も はっきりと耳に残っている。
 雪に埋もれた山村の冬を満喫した。

 今でこそダム建設などで山里にも良い国道も整備されてはいるが、その昔の雪に 閉ざされた山奥にはこんな楽しみがあったのかと想ったものだ。

 そうそう、雪国の春ほど感激的な季節はない、ご存知だろうか。

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