お米

 水を張った田に裸足で入り見よう見まねで苗を植える、腰をかがめての農作業は大変だった
夏には田に生える雑草取りに手押しで車を押すような道具で畝の間を掻き取った
秋になり実った稲が首を垂れた、田植えには数本しか苗を差込まなかったのに、収穫時には何と太くたわわに育つのだろうか
 のこぎり状ギザギザの付いた、曲り角度の緩い鎌が稲の根元をザクッと切り取る、見ていれば簡単そうなのに小さな子供の力ではかなりの難易度だった
畦道に丸太を組んで作った稲架(はざ)に稲束を二股に掛けてきちんと並べ干す、乾燥すれば足踏みの脱穀機で、唐箕(とうみ)は風の力で実のないモミを吹き飛ばして実ったモミだけ残し集める
当時の農機は足踏みでも、手回しでもそれなりにブゥ〜ン、ブゥ〜ンと音を立てヽ頼もしく思えたものだった
戦時疎開がなければこんな経験も光景も記憶になかったけれど、田圃の造り手が少なく荒れてしまった戦時戦後の日本ではコメ不足は深刻だった

 時を経て、地方勤務をしていた頃には農協さんとお付き合いがあった、米余りと云われはじめ減反政策が始まったばかりだったが、その農協さんは田圃に戻すには・・・また耕せば簡単だと楽観的見通しだった
しかし機械化は進み既に耕運機はもとより、田植え機、コンバインの時代になっていて、脱穀したもみ殻を燃やしお米の乾燥をするのが普通の時代になっていた、田園風景にカントリーエレベーターの巨体が建っていた
 その様なとき天日で干した米の味は格別だ…と秋に農家が自家用に稲架で干し乾燥した精米を頂戴した、そしてご指導により試した洗米後水を切り、冷蔵庫に一晩寝かせて、いつもの様に電気釜で炊いたご飯を口にすると、その美味しかったこと、手をかけて愛情を注がれて出来たお米の真の味わいは、やはり美味しかった

   ヨーロッパ大陸は米大陸発見後に原産地から輸入した「ジャガイモ」を栽培し食するようになってから人口が急激に増えその後の繁栄につながったとか、小麦より多いデンプンがエネルギー供給に役立ったと・・・
 日本列島も東南アジアから伝わったコメ栽培に支えられて縄文から弥生へと文化は進む、狩猟、採集に較べて米のデンプン密度は高く、大きなエネルギーを生み出したと・・・
ところが減反で耕作を止めてしまった田と云えば、農家高齢化もあるが耕作放棄地と名付けられて無残な姿、今や再耕作するには開墾作業が必要になるだろう、コメ不足から米余り・・・ほんとに農業政策の未来目標は何だったのだろうか
 我が短い人生の想い出だけでも何が変わって、何を失ったかが判る 

 778%の米の関税の意味は良く判らないけれど、どうやら票の田圃を担保に役人の数字まやかしがその数字を実現させているらしい、外国産米の7倍の米価と云う意味ではなさそうだが、値段の高いコメを買っているのは間違いなさそうだ
 より国民が素直に判るようには仕組みとか、用語を使ってほしい・・・「お前たちには到底わかるはずがないから、お上に任せて置け・・・」が、未来に向かう日本文化なのかと考えてしまう

(2013
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