日本画にはよく鯉がモチーフとなって登場する.。
真鯉や緋鯉、多くは金色や紅色の美しい模様をした錦鯉がゆったりと池の 中を泳ぐ様を描写したものである。公園の池や寺社の池などにはどこでも こうした鯉の姿があり気持ちを和ませてくれる。
  わが娘達も売店でわけてもらった麩をちぎりどれ程池のコイたちに撒いて あげただろうか・・・コイは人の気配を察して向こうの方からゆっくりと泳ぎ寄り 輪のような大きな口を空中に突き出すのである。
 ある時その口に人差し指を突きつけると「パクッ」と食いついたきり「シマッタ」 とばかりにくるりと背を向けて泳いでいってしまった。

 ゴルフ場の池にも鯉を沢山飼っているところがある。ポチャン、ドボンんと 落ちる「アッ、いけない、イケポチャだァ!」のゴルフボールはいくらあっても 鯉の 餌にならぬだろが、時折池端に餌箱を置いてゴルファーが餌を与える ことが 出来る様に仕組んでいるゴルフ場があって、こんな所の鯉は先を争い
他の鯉の上にでも乗り、今にも芝生に駆け上がるのではないかという勢いで 押し 寄せてきてビックリしてしまう。
  これなどはいくら綺麗なオベベを着ていても、起居仕種で育ちが知れてしまう という世界の話と似て来るではないか。

 コイのあらい、鯉こく、中華料理のコースの決まりはから揚げ、勢いのある 鯉の滋養は体に善いと古来珍重されてきたのである。
「俎上の鯉」というが まな板に載った鯉はその運命を知るが如くにじっとして 動かない潔さも持ち合わせているようである。
  食べてしまったコイがどんな顔をしていたかを見たこともないし、想像する事 すらなかった。もちろん公園や寺社の池の鯉が料理と結びつくようなことも 無かったが、ドイツ旅行の折にディナーを選んでいるとウエイターが「この地方 料理でコイのてんぷらがお勧め」だと云うので注文したことがある。
  料理は大皿からはみ出すのではないかと思えるほどの大きさに開いたそれが 衣をかぶった姿で揚げられて載り、味はマズマズ淡白で地元のビールや 白ワインにはよく 合っていた。

 食後やってきたウエイターがどんな姿の魚か見せると 誘うので調理場に行くと、 黒灰色の魚たちがゆったりと水槽の中を巡っていた。
 先ほどテーブルに 出て きたのはこいつらの仲間だった訳だ。
 

 古都ローテンブルグでの事だった。

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