毛がに

 高等学校は学年800人の大所帯、クラスで言えばA組からR組までの18クラス。修学旅行では 上野駅から貸切の特別列車で北へ向う、上野駅から出る常磐線は黒い煙を吐く蒸気機関車に 引かれていた頃の話だ。臨時貸切りは学校事務局が乗る本部車には青帯の 2等車と生徒達が 乗車の3等車合わせて11両と結構長い編成。旅行は例年夏の 初めの年中行事だったから学校 当局も手馴れたもので、客車の4人ボックスシートには 2枚の木の板が用意されていた。

 臨時列車は定期列車のダイアの間を縫って走る、まだ単線区間も残っていたので道中では 長い間の交換待ち停車があった。出発後どのあたりで夜になったか記憶 にはないが配られた 駅弁の 夕食が済むとボックスシートのベッドつくりが始まった。車両の座席 は外して床に敷き、 木の板 がその後に置かれればとても狭いが 2段ベッドの出来上り ということになる。
 旅行初めての夜でその賑やかさも格別ではあっても、やがて照明も暗く減光された列車は 静かに北へ向かい走っていった。

 青森駅には翌朝着、青函連絡船は小さめの船だったが これも臨時便、 臨時列車のうち 本部車だけが同じ船の船倉に載って海を渡った。青森からの船旅は 晴天に恵まれて恙無く、 北海道の山々もくっきりと次第に近づいてきた。
 函館駅前にはバスがずらりと20台も並びわれわれを待つ、クラス宛に1台、本部車と 予備車も 用意されていた。立待ち岬、函館山、トラピスト修道院、五稜郭、優美な駒ケ岳に夕日が 映える 大沼公園などを巡る観光バスの車内には昨夜眠れなかった夜行列車のせいか寝息が 大きく 聞こえたのも無理は無い。その夜の泊まりは函館の湯の川温泉、さすがの温泉街もこの 大きな 団体を泊めるために何軒かのホテルを割かなければならなかった。

 翌日の函館駅には北海道内を旅する臨時列車が待っていた、本州から渡った本部車を連結 した編成は道内形の客車で車窓は耐寒用に幾分小さめである。函館本線 駒ケ岳のすそを回り こんで走り、右の車窓に見える内浦湾は晴天のなか波穏やか 、 やがて列車は長万部駅に すべりこんだ。列車はこれからの山越に備え補助 蒸気機関車を連結するので停車時間は長い。

 ホームには首から箱を提げた売り子の呼び声が聞こえる 「茹でたての 毛がに!」。 北海道名産の毛がにである、蟹は車中一人でチョッと食べるものだから柄は小さくは あったが、 まぎれも無い 毛がには沢山の高校生の胃袋に収まったはずである。値段の記憶は定か では ないが駅弁よりも安かったと思う、小遣いに痛手となるほどではなかった。
 長万部駅を出た列車は山を越え羊蹄山の容姿も眺め 札幌駅到着は午後になったが列車は 定山渓鉄道の路線へそのまま乗り入れ、終点の定山渓温泉まで川沿いの山道を登って 行った。
路線は1969年まで営業し、既に電化されていたように記憶しているが今はない 私鉄路線だった。
 札幌郊外の定山渓温泉は近代的なホテルが川沿いのがけ沿いに連なり建つ温泉場。 しかし この大団体は幾つかのホテルに分宿する。夕方早くに着いたので高校生達はそれぞれの ホテル 名を染め抜いた浴衣姿で温泉街をガヤガヤと闊歩していた。

 毛がには素手で持つにはとても痛い思いをする、後年 千歳空港の売店で土産に大きな冷凍の蟹を 求めてきたことがある、その蟹は楽しみにしていた家族の評判の とても 惨めなものだったことを思い出す
あまりに磯臭さが強く残ってのだが、選択の誤まりだったのだろうか?

                                                      (2007)

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