カツ丼(早飯専用)

 最近ではテレビニュースに、兜町の「鰻やさん」の顔が登場することがない。
それはそうだろう、とても人間的だった元気な証券立会場が この街から消えてもう何年になるのだろうか、 場立ちと呼ばれて独特な手サインなど特別の技術を 持った威勢の良い若者達がここから消えたのだから、 シマと呼ばれたこの町はとても人間臭かった。
立会場の最盛期には元気な場立ちでこの街は溢れ返っていたし、今ではこの景気だ、 景気良く「鰻を食いに行こ…」とは言い難いかも知れない。

 なにしろ、兜町の取引所周辺の連中と来たら、なんとも気が短い。
11時の前場終了のベルが鳴り終わるや否や、すぐに「昼メシ」だ。また、そのほとんど 全員が「早メシ食い」ではないかと思われるほどだから、この鰻やさんだって注文したら、 サッと品物が出てくる。どちらかと言うと、鰻は備長炭であぶるから時間はかかる筈なの だが… どうやらこの店のご主人午前中の相場次第で仕込を調節していたらしく、 そのせいかご主人は相場通でも名を知られていたとか。

 そう言えば、取引所の機械化がまだ進んでおらず、場立ち衆も2千人以上いた頃、 取引所のすぐ近くの「蕎麦や」さんは凄まじかった。市況繁忙になると、場立ちは 事務処理をこなしながらも、昼時ともなって飛び込むこの店では食欲旺盛な若者達 だから 「カツ丼と力うどん」、「天丼大盛り」などと、ここぞとばかりの大型注文で盛況となる。
そしてテーブルにつき、食券を手渡すや否や注文は何でも奇跡に近い速さで目の前に 届けられた。

 それを早飯食いの連中が平らげる訳だが、なんと、アツアツの飯の上に乗せられたカツや、海老の天ぷらは芯まで温まらずに冷たいままだったりする事など珍しくもなかった。
もっとも、繁閑の激しい相場物ゆえ、客足も極端に変化したろうから、店の主人の昼時狙いの仕込も難しかったろう、飯を炊く相場観も大切だったに 違いない。
  その飯も急ぎのあまりに、時には「芯飯」が堂々と出されたりして…。

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